【ラグビーW杯】伊藤剛臣氏 盟友・ジェイミーに見た「勝つまで絶対にやめない。勝利への執着心」

2023年09月08日 10:00

ラグビー

【ラグビーW杯】伊藤剛臣氏 盟友・ジェイミーに見た「勝つまで絶対にやめない。勝利への執着心」
1999年のW杯ウェールズ大会でジェイミー・ジョセフHCとともに戦った元日本代表No・8伊藤剛臣氏 Photo By スポニチ
 ラグビーのW杯フランス大会は8日(日本時間9日)に開幕する。自国開催だった19年大会で日本代表を史上初の8強入りへ導いたのがジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC、53)だ。今大会限りで退任するジョセフHCは、日本代表の一員として1999年のW杯ウェールズ大会に出場。当時、日本代表メンバーとしてともに戦った伊藤剛臣氏(52)が本大会を前に盟友の素顔を明かした。(取材・構成 吉仲 博幸)
 99年の3月、日本代表のオーストラリア合宿が2人にとっての「初めまして」の場だった。宿泊先はキャンベラ郊外の古びたホテル。与えられた部屋はシングルベッド2つが隙間なく並ぶ、狭い空間だった。同部屋の相手は、No・8のポジションを争うことになるジョセフ。「こんなにでかいヤツと一緒の部屋で寝るのかよ…」。伊藤は頭を抱えた。

 ジョセフの現役当時のサイズは1メートル95、115キロ。巨漢選手との共同生活は初日の夜から驚きの連続だったという。「あしたから頑張ろうぜ」――。片言の日本語と英語で健闘を誓い合った後、ジョセフは裸のまま眠りについた。「ホテルのシーツが新しい時は素っ裸で寝るそう。隣にいて、気持ちいいもんではないですよね」。苦笑いを浮かべながら当時を懐かしんだ。

 忘れられない試合がある。W杯2戦目のウェールズ戦だ。伊藤は後半に途中出場した。試合の終盤、ラインアウトからのサインプレーでジョセフがブラインドサイドを突いた。内側から伊藤がサポートに走る。ウェールズの大型選手2人から強烈なタックルを浴びせられたジョセフからパスが来た。仲間が決死の思いでつないだボール。意気に感じた伊藤は無我夢中でインゴールへ運んだ。

 「下にタックルされ、腹にもタックルされながら、ジェイミーからフワっと、鳥の羽が舞うようなパスが来るわけですよ。あれだけのタックルを食らいながら、こんなパスが出せるのか。これがオールブラックスのプレーなのか。まるで、赤ちゃんでも捕れるような優しいパスでした」

 ジョセフがサインプレーで抜け出す直前、日本側に反則があり、トライは認められなかった。ウェールズに大敗したとはいえ、“幻のトライ”は伊藤が今でも誇りに思う2人の連係プレーだ。

 ポジションを争ったライバルだが、一緒によく食べ、よく飲んだ。ジョセフは豚骨ラーメンや刺身、寿司を好んで食べていたという。95年の南アフリカ大会はニュージーランド代表としてW杯に出場したジョセフ。日本がニュージーランドに17―145で敗れた試合にも出場しているが、日本への愛とリスペクトも持ち合わせていた。

 「彼はW杯で日本から145点取った試合にも出ていましたが、、そんなそぶりをまったく見せません。日本文化になじもうと日本の歴史を学び、むしろ俺たちに寄り添ってくれていましたから」

 トランプで遊べば、勝つまでやめない。そんな男だった。「結局、あの頃から勝負師なんですよね、ジェイミーは。自分が勝つまで絶対にやめない。どんな事にも勝負に対する執着心がすさまじかった。勝負師としての資質でしょうね」。何事もとことん勝負にこだわる。その姿は今も昔も変わらない。

 ◇伊藤 剛臣(いとう・たけおみ)1971年(昭46)4月11日生まれ、東京都荒川区出身の52歳。法政二でラグビーを始め、法大3年時に大学選手権優勝。94年に神戸製鋼(現リーグワン神戸)入社。94年度の全国社会人大会、日本選手権7連覇に貢献。99年と00年度の日本選手権で優勝。03年度はチームをトップリーグ初代王者へ導いた。12年から釜石でプレーし、18年2月に現役引退。W杯は99年、03年大会出場。日本代表キャップ62。No・8、フランカー。タイセイ・ハウジー勤務。

おすすめテーマ

2023年09月08日のニュース

特集

スポーツのランキング

【楽天】オススメアイテム