貴乃花光司氏が本紙に語った曙さんの強さ「今の力士には太刀打ちできない」良きライバルを追悼

2024年04月12日 05:00

相撲

貴乃花光司氏が本紙に語った曙さんの強さ「今の力士には太刀打ちできない」良きライバルを追悼
88年5月、初対決は曙(右)に敗れる貴乃花(貴花田) Photo By スポニチ
 大相撲で史上初の外国出身横綱となり、格闘家としても活動した元横綱・曙の曙太郎(あけぼの・たろう、旧名チャド・ローウェン)さんが4月上旬に心不全のため東京都内の病院で死去した。54歳だった。日本相撲協会が11日に発表した。ハワイ出身で、1988年春場所初土俵で同期の貴乃花、若乃花の兄弟横綱らと熱戦を繰り広げ90年代の大相撲ブームを支えた。ともに「曙貴時代」を築いた元横綱の貴乃花光司氏(51)が本紙の取材に応じ、追悼した。葬儀は家族葬で行う。
 7年に及ぶ闘病生活の末に曙太郎が力尽きた。16年4月に自らが社長を務めるプロレス団体「王道」を旗揚げし順調な格闘家人生を送っていた曙さんは2017年4月、福岡県大牟田市でのプロレスの試合後に体調を崩し救急搬送された。

 入院は長期化し、18年9月下旬には心停止に見舞われたことで重度の記憶障害が後遺症として残るなど再び危険な状態に陥った。19年12月にはかつての付け人で41歳で亡くなった元幕内・潮丸(先代東関親方)の葬儀に弔問したが、関係者によると今年4月に入って体調が悪化。ハワイから駆けつけた長男ら家族が見守る前で54年の人生に終止符を打った。亡くなる直前にクリスティーン麗子夫人に「アイラブユー」と伝えたという。

 数々の名勝負を演じた貴乃花氏は「ご家族の皆さまとご遺族に哀悼の意を表したいと思います。ハワイから来日し今日に至るまで、日本の文化を感じて幾多の苦労があったかと思います。百折不撓(ふとう)の人生観だったと思いますが、これからは身を楽にして安らかに」と悼んだ。

 曙さんは同じハワイ出身で外国出身初の関取となった東関親方(当時、元関脇・高見山)にスカウトされ88年春場所で初土俵を踏んだ。3代目若乃花、貴乃花の兄弟横綱に大関・魁皇ら関取11人というハイレベルな同期とともに、空前の相撲ブームの火付け役となった。貴乃花氏は「群雄割拠の時代にハワイから訪れて取組を面白くしてくれた方です」と感謝。対戦成績は21勝21敗と五分で、若乃花とも18勝17敗。人気絶頂の若貴兄弟の前に「敵役」として立ちはだかり、大関、横綱昇進は2人に先んじたのが曙さんだった。

 最大のハイライトは3人が優勝決定巴戦を戦った1993年名古屋場所。平均視聴率37・6%、瞬間最高視聴率66・7%と国民が若貴対決を期待する中、曙が若貴を連破した。

 2メートル超の長身から出される激しい突っ張り、押しは好調時には手がつけられず、貴乃花氏も「その足腰のバネといい、ちょっと今の力士たちには、なかなか太刀打ちできないくらいの威力があったと思いますよ」と評価する。

 3人は引退後はそれぞれ別の道を歩むことになったが、貴乃花氏は良きライバル関係だったと明かし「(自身は)ライバル意識というのではなくて、逆にあちらの方がライバル意識というか、そういうのを多分、持たれていたのではないかと思います」と振り返った。曙さんは間違いなく、平成の大相撲人気を支えた主役の一人だった。

【優勝回数11回 03年格闘家転向】
 曙 太郎(あけぼの・たろう=大相撲第64代横綱、旧名チャド・ローウェン)1969年5月8日生まれ、米ハワイ州出身。バスケット選手だった大学時代に東関親方(元関脇・高見山)に誘われ角界入り。88年春場所で初土俵を踏み、長身からの強烈な突き、押しを武器に92年夏場所後に大関へ昇進。93年初場所後に史上初の外国出身横綱になった。優勝回数は史上10位の11回。96年4月に日本国籍を取得。98年長野冬季五輪では開会式で横綱土俵入りも披露した。01年初場所後に現役引退。03年11月に日本相撲協会を退職し、格闘家に転向した。現役時代のサイズは2メートル4、233キロ。

この記事のフォト

おすすめテーマ

2024年04月12日のニュース

特集

スポーツのランキング

【楽天】オススメアイテム