冗談好き、隠語もこなれた曙さん 元担当記者が懐かしむ わざわざ呼び寄せ「俺にはくれないの?」

2024年04月12日 04:45

相撲

冗談好き、隠語もこなれた曙さん 元担当記者が懐かしむ わざわざ呼び寄せ「俺にはくれないの?」
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 大相撲で史上初の外国出身横綱となり、格闘家としても活動した元横綱・曙の曙太郎(あけぼの・たろう、旧名チャド・ローウェン)さんが4月上旬に心不全のため東京都内の病院で死去した。54歳だった。曙さんと親交があった元相撲担当記者が悼んだ。
 担当記者として取材したのは、引退前の1年ほど。期間は短かったが、人柄の良さは伝わってきた。

 ちょうど雅山がデビューして大器と注目されていた頃、花相撲の支度部屋に彼の活躍を特集した紙面を本人に見せるために持っていった。すると、横綱の指定席の奥の上がり座敷に座っていた曙さんがニヤニヤしながら手招きをする。寄っていって「どうしました?」と聞くと「俺にはそういうの持ってきてくれないの?みんな、若くて勢いがある力士の方が良いよな」と言われ思わず笑ってしまった。

 日本語の流ちょうさは舌を巻くほどだった。相撲界では同郷の者を「国(くに)もん」と言うが、そういう隠語もこなれた感じで使っていた。引退後は師匠で同じハワイ出身の高見山の東関部屋を継ぐのが既定路線と思われていた。しかし「国もんは逆に厳しかったりするんだよ」と師弟の微妙な関係を明かすこともあった。

 貴乃花のことは「貴さま」と呼んでいた。2人は同期入門のライバルだが、周囲の見方は常にヒール役。「貴さまにはかなわないよ。俺がいくら頑張っても、みんな貴さまだろ」と笑いながら話していた。当時の貴乃花の強烈な人気と実力を認め、達観したようなところがあった。

 引退後に会ったときに「最近、ジムで体を鍛えているんだ。サンドバッグをぶちかましている。最高だよ」と楽しそうに話していた。格闘界に転身するのはそれから半年後。新天地で今度こそ主役にという思いもあったのだろう。54歳は若いが、太く充実した人生だったと思う。 (元相撲担当・大渕英輔)

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