明豊・京本 ズボンに遺骨しのばせ…天国の“兄”とともに最後まで戦い抜いた

2021年04月02日 05:30

野球

明豊・京本 ズボンに遺骨しのばせ…天国の“兄”とともに最後まで戦い抜いた
<東海大相模・明豊>6回裏終了後、明豊の先発・太田(10番)を迎える京本(左)(撮影・坂田 高浩) Photo By スポニチ
 【第93回選抜高校野球大会最終日 決勝   明豊2ー3東海大相模 ( 2021年4月1日    甲子園 )】 【お帰り!春球児】9回1死満塁。絶体絶命の局面で京本はグラブの『創平と共に』の刺しゅうに視線を落とし「力を貸して」と願った。だが、無情にも2ストライクから小島への3球目、高めに外すつもりの球が中寄りに入り、打球は遊撃手のグラブをはじき中堅方向へ転がった。目の前にできた歓喜の輪から目をそらした。
 野球を始めるきっかけが、いとこで4歳上の難波創平さんだった。父・一真さんによれば「一緒にずっと野球をしていた」仲のいい兄のような存在。だが19年1月、明豊を受験した当日に創平さんが交通事故に遭い19歳の若さで他界した。立ち直ることができたのは野球があったから。野球が“兄”を身近に感じさせてくれた。

 「創平の分も背負ってと思い、投げています」。ズボンの右ポケットには遺骨をしのばせる。刺しゅうに向かい「頑張ろう」と誓うことが試合前のルーティンにもなった。

 うつむいたままアルプスに向かい一礼後、初めて視線を上げると明豊ブルーが広がった。「夏は日本一、獲りますと言いたい」。空から大好きだった“兄”が見ている。アンダーシャツの袖で目元をぬぐい、前を向いて力強く歩き出した。 (桜井 克也)

 ◆京本 真(きょうもと・まこと)2004年(平16)2月6日生まれ、大阪府大阪市出身の17歳。小2から姫島タイガースで野球を始め投手兼捕手。歌島中では大淀ボーイズでプレーし3年時にジャイアンツカップ優勝。明豊では1年秋から背番号18でベンチ入りし2年夏から背番号1。1メートル89、77キロ。右投げ右打ち。

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