【内田雅也の追球】谷村友一さん評伝 審判半世紀支えた日記と愛妻

2024年01月19日 08:00

野球

【内田雅也の追球】谷村友一さん評伝 審判半世紀支えた日記と愛妻
谷村友一さんの日記「My Umpiring」No.1の表紙(遺族提供) Photo By 提供写真
 特別表彰で野球殿堂入りした谷村友一さんがプロ野球審判員に転身したのは1959(昭和34)年、31歳の時だった。三菱商事で働くかたわらアマ野球の審判員を務め、55年から8季連続で春夏の甲子園大会に出場していた。
 「大げさでなく審判が天職と思うようになった」と同志社大先輩がいたセ・リーグ審判員のテストを受けた。反対が予想されたので家族や親戚に内緒で進め、退社、契約の手続きを済ませた。

 初出勤であいさつ周りした59年5月4日から大学ノートに「My Umpiring」と名づけた日記をつけた。2016年6月まで63冊に及んだ。

 大半は判定や動作の反省でイラストも描いた。心がけたのはセ・リーグ審判部長だった島秀之助氏(殿堂入り)の「誠実」だった。「帰路につくお客さんが試合を語り合っても審判は話題にしない。それが最高の仕事だ」と黒子に徹した。

 86年に史上6人目の3000合出場を達成。同年限りで現役を退いた後は日記に身辺雑記や会食した店のはし袋などを貼り付けた。記された交遊仲間にはプロもアマもいた。全日本野球会議で審判技術委員を務め、プロ・アマ双方の経歴から「プロ・アマの壁をなくすため審判から取り組んでいこう」と先頭に立った。

 97年11~12月にはスポニチ本紙(大阪本社発行版)で『谷村友一のルールの達人』を50回連載した。読者の投書に丁寧に返信していた。後進の育成に努め、2002年初版の全日本野球協会発行『審判メカニクスハンドブック』の編集の尽力。同書は今も版を重ねる。

 晩年も知己の多い大リーグ審判員の動きをネットで追い、テレビの野球中継を楽しんだ。だが、一昨年、新型コロナウイルスに感染し7月31日、94歳で天寿を全うした。

 妻・壽美子さんも学生時代、野球やソフトボールに親しみ、三菱商事の社内で知り合った。「愛審会」と文字通り、審判を愛した夫人の会を催した。年に1度、谷村さんが家事や夕食を作った。

 妻も谷村さんの一周忌を終えた昨年8月、老衰で後を追った。93歳だった。殿堂入り通知式に出た次女、松村和佳子さん(66)は「母も命を使い切ったという最期でした。父を支え、満足だったと思います。今ごろは夫婦で喜んでいることでしょう」と天国を見上げた。 (編集委員)

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