殿堂入り・黒田氏が覆した「日本人投手3年限界説」 完投主義からQS優先に切り替え5年連続2桁勝利

2024年01月19日 05:30

野球

殿堂入り・黒田氏が覆した「日本人投手3年限界説」 完投主義からQS優先に切り替え5年連続2桁勝利
山本浩二氏(右)と同氏のレリーフの前で記念撮影する黒田博樹氏 Photo By 代表撮影
 野球殿堂博物館は18日、今年の殿堂入りを発表し、競技者表彰のプレーヤー部門で広島とドジャース、ヤンキースで日米通算203勝の黒田博樹氏(48)が選ばれた。
 米国を代表する野球記者、トム・ベデューチ氏は以前「日本人投手3年限界説」を唱えていた。山本由伸がドジャースと12年契約を結ぶ今となっては信じ難いが、十数年前までは多くの米球界関係者が同じような認識だった。ケガがあったり、メジャーの打者に研究されたりで、良いシーズンは続いても「3年」という。その説が間違いであることを証明したのが黒田である。

 思い出すのはメジャー1年目の08年6月、シンシナティでのこと。レッズ戦の試合開始前に黒田にばったり出くわした。元気がない。肩の具合が思わしくなく、ロサンゼルスに戻って検査を受けるという。伏線は6月6日のカブス戦にあった。その試合まで打線の援護もなく2勝5敗。苦悩する中「壊れてもいい」との覚悟でマウンドに上がり、11奪三振で初完封勝利を飾った。しかし無理がたたって、続くパドレス戦は3回途中6失点KO。そしてシンシナティで肩の違和感を訴え、負傷者リストに入った。

 「壊れてもいいと投げたら、本当に壊れてしまった」と打ち明けた。精神的にも肉体的にも追い詰められていた黒田を救ったのが、「クオリティースタート(QS=6回以上、自責3以下)」という考え方。当時、日本ではそこまで浸透しておらず、黒田も完投を美学としていた。だが、メジャーでは勝ち星よりローテーションを1年間守って試合をつくることが重要とされた。以降、疲労をためないようにブルペンでは球数を制限し、試合での調整力を磨いた。

 そのアジャストが功を奏し、野茂英雄も松坂大輔もクリアできなかった4年連続2桁勝利を達成。記録は米最終年の5年連続まで伸びた。通常は成績が下降する35~39歳シーズンで、平均203イニングを投げ、QS率は60%以上をマークした。

 黒田の成功以降、「日本人3年限界説」を唱える人は消えた。これまで多くの日本投手がメジャーの舞台に立ったが、ニューヨーク・ポストのジョエル・シャーマン記者は「歴代最高の日本投手は黒田だ」と断言する。(奥田秀樹通信員)

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