ソフトバンク5位・沢柳 “将来はメジャー” 諦めない男が無名から挑戦

2024年01月21日 06:00

野球

ソフトバンク5位・沢柳 “将来はメジャー” 諦めない男が無名から挑戦
ソフトバンク・沢柳(撮影・成瀬 徹) Photo By スポニチ
 【24年版球界新士録(6) ソフトバンク5位・沢柳亮太郎投手】沢柳は「諦める」という言葉が嫌い。壁にぶつかっても意志を貫き、挑み続け、5位指名を受けた。ロキテクノ富山では創部12年目で初めてドラフト指名を受けたが、入部は自らの売り込みからだ。
 「自己紹介文をメールで野球部のある企業4、5社に送付し、返事をいただけたのがロキテクノ富山でした」

 入社し、製造部に所属。産業用精密ろ過フィルターを作りつつ、練習では西武、ソフトバンクなどで捕手として活躍した細川亨バッテリーコーチに基礎を叩き込まれた。「試合中にノートで配球のメモを取り続けた。先発と中継ぎの組み立ての違いから教わった」。過酷なランニングメニューも自ら考案。200メートルに規定タイムを設定し、最低25本。元阪神の藤田太陽監督も「とにかく走るし、きついトレーニングをしていた」と認める。

 努力は誰かが見ている。そして伝わる。ソフトバンクのスカウトが投球映像をチェックして驚いたのが最速151キロの直球の切れよりも変化球の落差だった。「2種類のカットボールとドロップカーブのホップ量の凄さと落差幅が55~60センチ。お宝を発掘した気分でした」と福山龍太郎アマスカウトチーフ。セットアッパーとして、即戦力の期待を寄せる。

 「プロに近くない時から“プロになる”と言い聞かせてきた。周囲からも“有言実行したね”と言われたし、やり切るまでやる」。高校は父親に「自分の力で行け」と言われ一般生として野球部に入部。大学は2部リーグだった。無名だろうが関係ない。「目標は大きく。千賀さんのように、はい上がってメジャーを狙う」。言ったからには諦めない。 (井上 満夫)

 ◇沢柳 亮太郎(さわやなぎ・りょうたろう)2000年(平12)3月8日生まれ、東京都青梅市出身の23歳。中学時代は福生シニアでプレー。明学東村山では甲子園出場なし。首都大学2部リーグの明学大では先発、中継ぎで活躍。ロキテクノ富山ではリリーフで22年都市対抗出場。同年秋にU―23日本代表に入りW杯にも出場。1メートル80、89キロ。右投げ右打ち。

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