東北高校時代に被災経験の鷺宮製作所・茶谷良太 駆け抜けた2時間5分の甲子園で感じたこととは

2024年03月11日 15:26

野球

東北高校時代に被災経験の鷺宮製作所・茶谷良太 駆け抜けた2時間5分の甲子園で感じたこととは
<鷺宮製作所・日本通運>初回、適時打を放つ鷺宮製作所・茶谷 Photo By スポニチ
 【JABA東京スポニチ大会第3日Cブロック   日本通運4―3鷺宮製作所 ( 2024年3月11日    神宮 )】 鷺宮製作所のチーム最年長野手・茶谷良太外野手は、特別な思いを持ってグラウンドを駆け抜けた。
 「何年たっても特別な日。試合は負けたけど、出てプレーできたことが良かった」。当時高校2年だった青年は、神奈川から親元を離れて白球を追っていた東北(宮城)で東日本大震災を経験。あれから13年、神宮で白球に思いを込めた茶谷は「チャンスで回ってきたのでなんとかという気持ちで打てました」と初回の適時打を振り返った。

 その時は突然訪れた。11年の選抜出場を決め、練習に打ち込んでいると突如、大きな揺れが襲った。

 「何が起こったのか状況を理解することに時間がかかった。(グラウンドの)横の中学校が避難所だったのでそこと寮を行き来しながら過ごしていました」

 野球をやっていていいのか―。当時17歳の青年の心はそんな思いでいっぱいだった。通常だったら選抜に向けて練習に明け暮れる毎日を過ごす予定だったが、「ボランティアとかもして、練習はその後にこっそりやる感じでした」。それでも、地元からの応援もあり無事に甲子園出場。「大阪入りしてようやく野球ができるようになりました」と当時を振り返った。

 初戦の相手は大垣日大(岐阜)。0―7で敗れたが、東北の希望として戦い抜いたナインへは大きな拍手が贈られた。茶谷も「5番・三塁」で出場すると4打数1安打と結果を残した。しかし「本当に何も覚えていないんです」。2時間5分の記憶はほとんど残っておらず「必死に頑張って、本当に一瞬だった」と、この瞬間だけは野球ができる喜びを心からかみしめていた。

 今春の選抜にも元旦の地震で大きな被害を受けた日本航空石川が出場する。気持ちが分かるからこそ「出場するからには勝ち負けは大事だが、できることをグラウンドで表現してほしい。おのずと結果はついてくるから。そして忘れられない日になると思う。人生であるかないかの日になると思うのでかみしめてやってほしい」と言葉を贈った茶谷。今年30歳を迎えるベテランは誰よりも強い思いを込めながら、白球を追い続けている。
(村井 樹)

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