園まりさん、死去 80歳、急性心不全で 中尾ミエ、伊東ゆかりと「三人娘」一番先に旅立ち

2024年08月02日 04:45

芸能

園まりさん、死去 80歳、急性心不全で 中尾ミエ、伊東ゆかりと「三人娘」一番先に旅立ち
66年、撮影に臨む(左から)中尾ミエ、園まりさん、伊東ゆかり
 中尾ミエ(78)、伊東ゆかり(77)と「三人娘」として活躍した歌手の園まり(その・まり、本名薗部毬子=そのべ・まりこ)さんが7月26日午前5時43分、急性心不全のため都内の病院で死去した。80歳。横浜市出身。日本歌手協会が1日、発表した。葬儀は近親者のみで執り行った。お別れの会を行う予定はない。
 昨年10月に行われた日本歌手協会のコンサートに出演予定だったが、体調不良で入院。以来、入退院を繰り返しながら治療に専念していた。亡くなる前日にはお見舞いに来た知人に元気な様子で対応していたが、26日早朝に容体が急変。そのまま息を引き取った。

 2008年に乳がんを発症し手術を受けたが、19年に再発。闘病しながらテレビやコンサートへの出演を続けた。亡くなる数日前には中尾と伊東がお見舞いに訪れ、園さんは「亡くなった時のために弔辞を作っておいて」と伝えていた。中尾と伊東は葬儀に参列し、実際に弔辞を読んだ。

 幼少期からモデルや合唱団で活動。1956年、11歳の時に本名の薗部毬子として「つゆの玉ころり」で童謡歌手としてデビューした。60年にNET(現テレビ朝日)の「あなたをスターに」で優勝し、62年に園まり名義で「鍛冶屋のルンバ」で本格デビューした。

 同年、同じ渡辺プロダクションに所属していた中尾、伊東と「三人娘(スパーク三人娘)」を結成。3人そろっての活動が主体となり、日本テレビ「シャボン玉ホリデー」などに出演。国民的アイドルに成長した。63、64年にはNHK紅白歌合戦に3人で出場。65年頃まで活動を続けた。

 歌手としては甘くささやくような歌唱が特徴だった。64年に「何も云わないで」が大ヒット。「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」など、毎年のようにミリオンセールスを記録した。こうした楽曲は映画化され、園さんが主演。女優としても存在感を放った。

 90年代に芸能界を離れた時期もあったが、04年に三人娘を再結成。19年にがんが再発してからも精力的に活動を続けてきた。今年10月の日本歌手協会のコンサートでの復帰を目指していたが、その願いはかなわなかった。

 園 まり(その・まり、本名薗部毬子=そのべ・まりこ)1944年(昭19)4月12日生まれ、横浜市出身。「夢は夜ひらく」(66年)「愛は惜しみなく」(67年)などヒット曲に恵まれ、63年から68年まで6年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。また66、67年に2年連続でマルベル堂のブロマイド売り上げで女性歌手の1位。19年には日本レコード大賞功労賞を受賞。

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