2丁拳銃(1)粋がっていた若手時代経て何ふり構わず臨んだ03年M-1 ミルクボーイらに影響与えた!?

2024年10月28日 14:35

芸能

2丁拳銃(1)粋がっていた若手時代経て何ふり構わず臨んだ03年M-1 ミルクボーイらに影響与えた!?
今年も100分ノンストップ漫才「百式」開催する2丁拳銃の小堀裕之(左)と川谷修士 Photo By スポニチ
 1998年前後、大阪で圧倒的な人気を誇った2丁拳銃。当時の漫才師とは一線を画すファッショナブルな立ち居振る舞いも人気を押し上げる要因だった。漫才にこだわらず芝居や音楽活動にも積極的だった姿勢は今も大きく変わらず、結成30年を超えても自由度の高い活動を続けている。ただ、年を経るごとに深まる自分たちの根幹である漫才への愛。恒例の100分ノンストップ漫才ライブ「百式」をはじめ、ビッグタイトルへのこだわりについて、小堀裕之(50)と川谷修士(50)が語った。(取材・構成 江良 真)
【2丁拳銃インタビュー(1)】

◆◆22年目単独ライブ「百式」 50歳意識したイベントに◆◆

 ―恒例の単独ライブ「百式」が11月に開催されます。今回で何年目になるのでしょうか?

 小堀「22年目ですね。2年前に20周年をやったんで」

 ―ノンストップで100分やる、というのは体力的にも大変なのではと思ってしまいます。

 川谷「2人とも50歳ですからね(笑い)。ただ、合わせて100ということなので、年齢に合ったネタというか、50歳を意識して作っていますね」

 ―例えばどういうものですか?

 小堀「今までやったら、ちょっとこれネタ的に若いからやめとこうか、というところをあえてやって、わざと年齢に見合わなくするところを見せるとか。とにかく50歳を感じられるようにしようと思って。例えば賞レース的なリズムが速いネタって、それに筋肉を合わせていくのが大変なんです。そこで、ちょっと頑張ったりとか、ここはちょっとゆっくりやっておこうとか、50歳を基準にした雰囲気が出ればいいかなと思ってます」

◆◆小堀「かまってほしくて」芸人の道選んだ!?◆◆

 ―結成されて30年ほどになりますね。

 川谷「31年目ですねえ。ぼくは芸人になろう!と強くは思ってなかったんです。高校卒業して、大学進学もしないし、就職もしないし、何すんねんみたいなところで、なんか面白いことないかなとなって、NSCっていうのがあるらしいから、じゃーちょっと、みたいな感じでした。もちろん深夜のお笑い番組はよく見てたし、ダウンタウンさんも大好きでした。NSCが1年で、当時は授業料も安かったんです。入学金10万で月1万5千とかやったんで。お金的にもいけるかな、みたいな感じで入りましたね」

 小堀「ぼくは今思うと、かまってほしかったんでしょうね。愛が欲しいというか」

 ―そうなんですか(笑い)。

 小堀「まあ今思えば、なんですけど。目立ちたいというか。うちは親が離婚して、再婚して、そのうえまた復縁してみたいな、ちょっと複雑だったんで、グレる要素もあったんです(笑い)。例えば暴走族になったり、ヤンキーになったり。そういうのも“かまって!”なんとちゃうかなと思うんですよ。ここにいるよ!みたいな。ぼくの場合、それのお笑いバージョンやったのかな(笑い)。この歳になって、そうやったんかなあと振り返ると思いますね」

◆◆音楽的ファクターも大きく 今もミッシェルガン・エレファントに影響!?◆◆

 ―頭角を現したのは早かったですよね?ちょっと漫才師とは違う雰囲気がカッコ良かったです。モッズ系ファッションでロックな感じがして。ミッシェルガン・エレファントみたいと思いました(笑い)。

 川谷「バレてますね(笑い)。今回のライブのスーツもミッシェルって言われます(笑い)。そうですね。もちろん漫才師でお笑いなんですけど、スタイルはかっこいいバンドマンみたいな感じ、というのは意識してたかもしれないですね」

 ―ハリガネロックさんとは違うというか(笑い)。

 川谷「確かに違いました(笑い)。ハリガネさん、ロックンロール!みたいなこと言ってたんですけど、そんなにロックじゃなかったですから(笑い)。すごいお世話にはなりましたけどね」

 小堀「なんかロック、ロックと言ってたんで自然とファッションもそっちになっていったというのはあります。こっちの方がロックやな、という方を選んでいったら、どんどんそうなっていくみたいな。でも、今から思うと粋がっていた気はしますね。若かったんかなあ」

 ―ただ、M-1が始まってやはり考え方も変わってきたのでしょうか?

 川谷「そうですね。僕ら、決勝なんかすぐ行けると思ってたんですよ。それがスコーンスコーンって2年連続で落ちて、あと1年でリミット10年や、みたいになって。あの辺から漫才に対してのスイッチがグンと入ったんです。2丁拳銃の漫才を確立したいというのは強く思いました」

 小堀「そこで、どういう漫才をしようかと思いました。漫才は陸上競技みたいに色々あるじゃないですか。長距離だったり短距離だったり、幅跳びだったり高跳びだったり。その頃に始めた百式は100分漫才やけど、M-1は4分。今でこそ普通に競技漫才という表現を使いますけど、当時はそんな意識さえなかった時代に、とにかくボケ数を多くしてみようって思ったんです」

 ―ピクルスのネタですね。惜しくも全体4位で最終決戦には残れなかったですが、しっかり爪痕は残されました。

 川谷「ありがとうございます。ハンバーガー屋さんに行って、どのタイミングでピクルス抜きを伝える?というワンシチュエーションのネタですが、短いボケをつなげていくストーリーのないネタは、僕らあんまりなかったんです。でも、今年はこれで勝負しようと腹をくくった感じでした。まあ、最後の最後に敗者復活から上がってきたアンタッチャブルが信じられんくらいすごくて、やられましたけどね(笑い)」

 ―でも、ワンシチュエーションのネタは今も若い子もやっていますよね。その完成形がミルクボーイなのかもしれませんが。

 川谷「影響を与えましたかねえ?あんまり言われないんですけどね(笑い)」=(2)に続く

 ◇2丁拳銃(にちょうけんじゅう) 小堀裕之(こほり・ひろゆき)1974年(昭49)1月9日生まれ。奈良市出身の50歳。川谷修士(かわたに・しゅうじ)1974年5月17日生まれ。兵庫県神戸市出身の50歳。NSC大阪で出会い、1993年6月結成。コンビ名はブルーハーツの歌詞からとった。97年ごろから漫才コンビとして人気が出始め、当時のbase吉本で爆発的人気を誇った。2000年に東京進出。漫才に限らず、音楽活動にも積極的。川谷の妻は放送作家でタレントの野々村友紀子。

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