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“努力の人”坂元「夢に向かって諦めず、ガムシャラに」

2020年05月19日 05:30

サッカー

“努力の人”坂元「夢に向かって諦めず、ガムシャラに」
思いを語るC大阪・坂元達裕 Photo By スポニチ
 C大阪の連載「サクラ咲ケ」の第4回は、新加入ながら開幕スタメンをつかんだMF坂元達裕(23)がオンライン上で思いを語った。全世界に新型コロナウイルスの影響がおよぶ中、自らが歩んできた道のりを振り返るとともに、進路に悩む学生にエールを送った。
 クラブの活動が休止している中、チームとしては(テレビ会議アプリの)Zoomを使ったトレーニングをしています。家にいる時間が長いので、個人としてはマシンバイクを購入しました。あと、実戦から離れているので、過去の自分の試合を見直したり、自分と似たドリブラータイプの選手の映像を見たりしています。

 ドリブルは小学校の頃から大好きでしたけど、身長が伸びず、体の大きい相手にボールを取られてしまうことが徐々に多くなった。FC東京U―15むさしでプレーしていた中学時代に「ユース(U―18)に上がれない」と言われて、高校を探すことになりました。

 練習参加をして「いいな」と思って進学した前橋育英では、またドリブルをする形に戻った。でも、同学年には年代別代表の渡辺凌磨(現・山形)や鈴木徳真(現・徳島)といった選手がいて、全く及ばなかった。東洋大はスポーツ推薦では入れず、指定校推薦。15人弱だった同学年で指定校推薦は自分だけで、ほかは全員スポーツ推薦でした。

 大学ではメンタルの部分で考え方を変えました。元々、自分はめちゃくちゃメンタルが弱くて。試合でビビったり、大事な試合で自分のプレーができなくなったりするのが凄く嫌だった。そこを改めて、大学では一番下からのスタートだったけど、結果的に4年で10番をつけられるようになった。チームを引っ張る立場を経験できたことも大きかった。4年の時はプロからの誘いがなく焦っていたけど、夏以降に練習参加をした山形に獲ってもらえました。

 今、世界がこういう状況ということもあって(進路について)焦っている人もいると思う。でも、もし今、プロを目指しているなら諦めず、ガムシャラにやってほしいというのが自分の考えです。働くことはいつからでもできると思うし、自分も最後の最後まで追い込まれて何とかプロになれた。サッカーで一番大事なのはメンタルだと思っているので、気持ちがあるなら、自分に自信を持って頑張ってほしいです。(C大阪MF)

 ◇坂元 達裕(さかもと・たつひろ)1996年(平8)10月22日生まれ、東京都出身の23歳。FC東京U―15むさしから前橋育英、東洋大に進学。19年にJ2山形に加入し、ルーキーイヤーは全42試合に出場し7得点。今季からC大阪に所属。1メートル70、63キロ。利き足は左。

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