【阪神V目前企画 あの感動を再び】最終盤の9連勝で「奇跡の大逆転優勝」を演じた1964年

2023年09月13日 16:10

野球

【阪神V目前企画 あの感動を再び】最終盤の9連勝で「奇跡の大逆転優勝」を演じた1964年
1964年、本拠地で2度目のリーグ優勝を決め、甲子園球場のファンに手を振って応える(左から)村山実、藤本定義監督、ジーン・バッキー Photo By スポニチ
 1964年は東京五輪で日本中が沸いた年だった。10月10日が開会式。プロ野球も、それまでに公式戦、日本シリーズとすべての日程を消化しなければならなかった。開幕も早まり、セ・リーグは3月20日開幕。ダブルヘッダーが盛んに組まれる過酷な日程のペナントレースだった。
 阪神は62年の優勝の翌年は5割を切り、3位に終わっていた。「覇権奪回」が合言葉。そのためにオフには大補強に踏み切った。62年の優勝に貢献した小山正明を放出し、課題の得点力強化に向け、大毎のスラッガー・山内一弘を獲得した。トレード発表は63年12月26日。「世紀のトレード」として、注目を集めた補強だった。山内は64年に31本塁打、94打点で期待に応え、優勝に貢献することになる。小山の抜けた穴はテスト入団から力をつけてきたバッキーが埋めることになった。

 ペナントレースは62年と同じく三原脩監督の大洋とのマッチレースとなった。8月に一度は首位に立った阪神だが、9月にはペースダウン。6連敗もあり、残り試合が阪神9、大洋8の時点で阪神は4・5ゲーム差をつけられていた。9試合のうち、大洋との直接対決は4試合。逆転優勝の可能性が厳しいことは藤本定義監督も分かっていた。「優勝は諦めた。しかし、このまま引き下がるのは業腹だ。大洋を徹底的に痛めつけて、三原にひと泡ふかせてやろう」と選手にゲキを飛ばした。

 開き直った阪神は強かった。9月20日、川崎での大洋とのダブルヘッダーに連勝すると、同26日の甲子園でのダブルヘッダーにも連勝。第2試合で同点の8回2死満塁。相手暴投で三塁走者・本屋敷錦吾が本塁突入。ボールはラッキーバウンドとなって戻り、本塁上はアウトのタイミングだった。だが、甘いタッチと本屋敷のスライディングが勝敗を分けた。宿敵に4連勝し、2位ながらマジック2が点灯。阪神は国鉄に勝ち、マジック1とすると、9月30日の中日ダブルヘッダーの第1試合に石川緑の完投で12―3で勝利し、奇跡の逆転優勝を決めた。中日戦の第2戦にも勝利。終盤の9試合を9連勝してつかんだ頂点だった。五輪によるダブルヘッダー日程も阪神には吉と出た。

 62年と同様に、ファンもグラウンドに突入しての胴上げ劇。藤本監督は5度胴上げされ、一塁・遠井吾郎はもみくちゃの中でトレードマークのメガネをなくしていた。「私も必死。選手も必死。その選手の必死さをムダにしないため、私も必死」と藤本監督は終盤のデッドヒートを振り返った。「選手がよくやってくれるので、こちらは作戦を間違えたらいかんと、そればかり考えた。前回の優勝より、今年の方が何倍も苦しい優勝だった」と 64年は1番が吉田義男、そして山内、遠井、藤井栄治がクリーンアップを組み、投手陣ではバッキーが29勝、村山実が22勝。バッキーは防御率1・89、石川は勝率・769でそれぞれタイトルを獲得。MVPにはこの年、55本塁打の新記録をマークした巨人・王貞治が獲得した。

 優勝を伝えるスポーツニッポンでは「阪神、歓喜の逆転優勝」「浪速で競う日本一 きょうから南海と選手権」の見出しが躍った。五輪が目前となり、優勝決定の翌日に休養日ゼロで南海との「御堂筋シリーズ」というハードな日程。南海は鶴岡一人監督の下、杉浦忠、スタンカ、そして野村克也が攻守の要という布陣。阪神は3勝2敗と先に王手をかけたが、第6戦でスタンカ―野村のバッテリーに完封負けを喫すると、スタンカは第7戦も連投し、2日連続の完封負け。ペナントレースの疲労、シリーズぶっつけ本番のハンデが最後に表れたシリーズとなった。

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