【阪神V目前企画 あの感動を再び】村山、小山の2本柱で初めて「セ界」の頂点に立った1962年

2023年09月13日 16:00

野球

【阪神V目前企画 あの感動を再び】村山、小山の2本柱で初めて「セ界」の頂点に立った1962年
1962年、阪神をリーグ優勝に導き、インタビューを受ける藤本定義監督 Photo By スポニチ
 阪神にとっては2リーグ分立後初めて、1リーグ時代からは15年ぶりのリーグ優勝となったのが1962年。優勝決定は10月3日、甲子園での広島戦だった。このシーズン、チーム打率はリーグ5位、3割打者もいなかった。投手を中心とした守りのチーム。戦前には巨人の監督として優勝7度の黄金時代を築いた藤本定義が、村山実、小山正明の2本柱を軸としたローテーション制を導入し、長丁場を乗り切る態勢を整えた。
 優勝決定試合の先発は小山。2回に吉田義男の右中間二塁打などで3点を先制すると、6回には4番・藤本勝巳の15号ソロなどで3点を追加。4回まで無安打と最高の立ち上がりを見せた小山は、広島を3安打に抑え、完封で胴上げ投手となった。当時のリーグ記録となるシーズン13完封で27勝目。精密機械と呼ばれた絶妙のコントロールが、セ界制覇の原動力となった。「立ち上がり、ちょっと球が高めにいったが、2回の3点からピッチングが良くなった。押すときは押し、逃げるときは逃げて、内容のある投球ができた。今年は長かった。首位に立ってからがしんどかった」という小山を、選手とファンが一緒になって、藤本監督に続いて胴上げした。

 前年のシーズン途中にコーチから監督に就任した藤本監督は、ローテ制を確立するとともに、ターゲットを古巣の巨人に絞った。小山を9回、村山を8回先発に起用し、14勝12敗2分けと勝ち越した。チーム内の巨人コンプレックスを払しょくするために、試合前にわざと川上哲治監督を呼び出し、選手に聞こえるように「おい、テツ」と呼び捨てにしたこともあった。巨人は長嶋茂雄の不振もあってペナントレースから脱落。ライバルは三原脩監督が率いる大洋となった。終盤9月に入り、大洋に2度首位を奪われる展開になったが、最後は村山、小山の2本柱の安定感が栄冠を呼び込んだ。9月末に大洋が巨人戦に3連敗すると、阪神は国鉄に3連勝。これが分岐点となった。

 興奮した2万観衆もグラウンドで胴上げに加わった。本紙記事も「1人のファンがグラウンドに飛び降りた。そのあとはせきを切った川のようだ。ファンはわれ先にサクを越える。スタンドの上からは七色のテープがとぶ。風船があがる。ファンの数は増える一方。選手はベンチに帰れない」と現場の興奮を伝えた。実に17度も宙に舞った藤本監督は「私が阪神を優勝させたのではなく、阪神が私を優勝させてくれたのだ」と名言を残した。スポーツニッポンにも手記を寄せた。「私にとって戦後はじめての優勝、今年が虎年だったことも、ここしばらく忘れていた。タイガースにとって、今年はやはり優勝すべき年だったのだ。という実感がいま心のヒダにぴったりくるようだ。こんな接戦の上での優勝の味は最初の経験だ。後半30試合を残したあたりから、一日として楽な日はなかった。(中略)戦後いろんなチームを体験してきた私だが、阪神ほどいいチームはない。私が阪神を優勝させたというより、むしろ阪神が私を同化させて優勝をしたのだ」と勝利の喜びを綴った。

 MVPには25勝14敗、防御率1・20の村山が選ばれ、小山には功労賞が贈られた。東映との日本シリーズも大接戦となった。第1戦は阪神が延長10回に吉田がサヨナラ打、小山―村山のリレーで制し、第2戦も村山が完封。だが、神宮での第3戦が延長14回引き分けとなると、流れは東映に移った。東映3連勝で王手をかけられた甲子園での第7戦も延長に突入。小山が先発、11回から村山が登板したが、背番号11は12回に決勝打を許し、7戦で4度の延長突入のシリーズをモノにすることはできなかった。
 

おすすめテーマ

2023年09月13日のニュース

特集

野球のランキング

【楽天】オススメアイテム