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偉大な点取り屋の引退 アリツ・アドゥリス「最初から最後まで忘れ難く、輝かしい道の終わり」

2020年05月22日 16:45

サッカー

偉大な点取り屋の引退 アリツ・アドゥリス「最初から最後まで忘れ難く、輝かしい道の終わり」
現役引退を発表したアスレティック・ビルバオのFWアリツ・アドゥリス Photo By AP
 「モチベーションは何千もある。問題は“そこ”じゃない。サン・マメスでゴールを決めるということだけで大きなモチベーションだし、それでもう十分だ」
 アスレティック・ビルバオFWアリツ・アドゥリスは今季の開幕直前、スペインのフットボールカルチャーマガジン『リベロ』でそう語っていた。現役を継続する上での大きなモチベーションと見立てた、アスレティックの本拠地サン・マメスでのゴール……。今季はラ・リーガ開幕節のバルセロナ戦で早速生まれている。89分からピッチに立った背番号20は、それから1分も経たぬ内に送られたクロスボールから空中へと舞い上がり、豪快なオーバーヘッドキックでネットを揺らした。アスレティックは彼のゴールによって1-0で勝利。サン・マメスは場内アナウンスの「ゴールを決めたのはアリツ……」との呼びかけに対して、「アドゥリス!」と威勢よく返答していた。

 点取り屋としての彼のキャリアを代表し、フットボール史に深く刻まれるような名ゴールの誕生だった。だが、それは彼にとってサン・マメスでの、そしてキャリアにおける最後のゴールにもなった。20“20” 年5月“20”日、彼は“20”番の背番号のユニフォームとスパイクを脱ぐことを発表。腰部の痛みが耐えられるものではなく、日常生活に支障が出る前に、人工股関節置換手術を受けることが理由だった。問題は“そこ”では、39歳となっても有り余るモチベーションではないのだ。

 アドゥリスはフットボールの申し子でも、生来の点取り屋でもなかったのかもしれない。彼の両親は登山やスキーを好み、フットボールはそのほかのどうでもいいスポーツの一つだった。テレビでフットボールが頻繁に放送されているのにも嫌気がさしていたそうだ。アドゥリスも彼らの影響でクロスカントリーに取り組み、9歳の頃には全国大会2位という成績を収めたが、結局はフットボールの魅力に取り憑かれた。バスク全域に存在するアスレティックの提携クラブでプレーをし、2000年にアスレティックの下部組織入りを果たした。

 アドゥリスのその後の足取りは、決して順風満帆なものではなかった。彼は2003年、2008年と、二度にわたって愛するアスレティックを退団することを余儀なくされた。そのどちらもレンタルではなく、完全移籍という片道切符である。

 「自分が自分であることを感じられるクラブを去らなければいけないのは、本当に辛い。ただ、それでも僕はここに戻ってきてしまう。僕はこのクラブと価値をともにしていて、その価値のためにこそ戦えるわけだから」

 2度目の退団後、マジョルカ(公式戦78試合24得点)、バレンシア(84試合23得点)で確かな結果を残したアドゥリスは、2012年に2度目のアスレティック復帰を決める。バスクにゆかりのある選手たちだけでプレーしながら、ラ・リーガ1部から一度も降格したことがないクラブの誇りを守るという責務をアドゥリスは「重たい」ものと形容するが、今度こそ真価を発揮した。31歳となって臨んだ2回目の復帰シーズンに公式戦18得点とキャリア最高の得点数を記録し、その後も18得点、26得点、36得点、24得点、20得点……と、サン・マメスで咆哮を上げ続けた。31歳から39歳までに149得点を記録と、ベテランとなって輝きを増したのである。アドゥリスはその理由を、ゴールを奪うためにより効率的な動きを学んだため、と説明する。

 「一選手にはゴールする力があるかないかのどちらか、みたいな伝承があるね。僕がそれに同意することはない。ゴールは学ぶものであり、努力で改善することができるんだ。確かに、子供の頃からポジショニングや飛び出しなど、その才能を持っているように思える選手もいる。だけど自分の場合は違う。ゴールは学んでいくものだった」

 「奇遇にも、僕は時間が経つに連れて継続的にゴールを決められるようになった。以前はその継続性を手にするのに苦労をしたけど、一気に変化したね。それはおそらく、ちょっと逆説的ではあるんだけど、様々な場所に顔を出すことを許した僕のフィジカルが、ゴールを決めるポジションに自分を留めておかなかったためだ。ピッチのどんな場所でも球際で争える力があったために、ゴールから遠ざかっていたんだよ。年月の経過によって、そうしたことをうまく扱えるようになってきた。ゴールを決めるためのポジショニングを、もっと取るようになったんだ」

 30歳を越えて点取り屋として覚醒を果たし、アスレティックを前線で支え続けたアドゥリスだが、昨季から腰部に大きな問題を抱えて一気に出場機会を減らした。その痛みは深刻なものであり、今季を迎えることなく現役を退く考えすらあったが、それでも彼にはサン・マメスでゴールを決め続けるモチベーションが、そしていまだに見続けている夢があった。

 「心残り?スペイン国外で、何よりプレースピード、球際の争いなどで僕を熱くするイングランドでプレーすることができなかったことかな。もう移籍することはないけど、僕を満たしてくれるアスレティックでプレーしながら異なる経験もできるといった具合に、二つのキャリアを並行して進めることが可能だったら、みたいな妄想は膨らませたよ。そしてもちろん、神の導くままにタイトルを獲得して運送船に乗ること(アスレティックの伝統的な祝勝パレード)こそ、フットボールにおいて僕が最も希求していることだ」

 彼のアスレティック愛に縛られた2つの心残りの内の一つは、もしかしたら叶うかもしれなかった。今季チームはスペイン国王杯で、バスクの最大ライバルであるレアル・ソシエダと決勝を戦うはずだったのだから。だがしかし、新型コロナウイルスのパンデミックがやって来てしまった……。アスレティックは延期となった国王杯決勝が開催されるまでアドゥリスとの契約を維持し続ける方針を立てたが、もう猶予は残されていなかった。彼の心ではなく、体の話だ。

 「その時がやって来てしまった。フットボールはこちらがやめる前に、自分を置き去りにしていく。これまで何度もそう言ってきたね。昨日、医師からできるだけ早く手術を受けるよう勧められた。少なくとも普通の日常生活を送るため、人工股関節を置換する手術を。悔しいけど、僕の体がもう十分と宣告した。チームメートのことを、彼らに値するように、僕が望んでいるように助けることができない。それもまたプロアスリートの人生なんだ。単純な、至極単純なことだ」

 「残念なことに、僕たちはそんなことよりももっと深刻かつ痛ましい状況を過ごしてる。いまだに僕たちを苦しめるパンデミックは取り返しのつかない被害を与え、僕たちは全員で闘い続けていかなくてはならない。だから僕のことをは心配しないでほしい。些末なことに過ぎないから」

 「夢に見ていたような終わりは忘れよう。別れを告げる時間はあるはずだから。ただアディオスを口にする時は訪れた。僕にとって、最初から最後まで忘れ難く、輝かしい道の終わりだ」

 「(バスク語で)本当にありがとう、心から」

 かくしてアドゥリスは、歩を進めるごとに足跡を深くしていったキャリアに終止符を打った。バルセロナ戦のオーバーヘッドキックによるゴールが最後に踏みしめた一歩となり、そのまま前のめりに倒れたのだった。その道の終わりにあったのは、アスレティックの歴代出場数ランク6位、歴代得点ランク6位、4シーズン連続で20得点以上を決めた唯一の選手といった記録。そして、たとえ片道切符の旅を強いられても自力でアスレティックに戻り、サン・マメスとゴールの喜びを共有した記憶である。パンデミックを乗り越えた後、アスレティックも彼らのファンも、倒れ込んだ彼に手を差し伸べるはず。すなわち生来かどうかなど問答無用の、偉大な点取り屋にふさわしい別れ、祝福のときが訪れるのだ。(江間慎一郎=マドリード通信員)

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