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アルゼンチン ペケルマンの教え子たちによる復活に期待

2022年07月07日 17:00

サッカー

アルゼンチン ペケルマンの教え子たちによる復活に期待
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 今から25年前の1997年7月5日、マレーシアで開催されたU-20W杯でU-20アルゼンチンが世界王者の座を勝ち取った。同チームの監督を務めていたホセ・ペケルマンにとっては4つ目のタイトル、同大会では2大会連続優勝という快挙。それまで衰退していたユース代表部門の総指揮を任されてから、わずか3年後のことだった。
 その後もペケルマンはU-20アルゼンチン代表の監督として、自国開催となった2001年のU-20W杯を含む3つのタイトルを獲得。2004年に突然辞任したマルセロ・ビエルサの後任としてA代表を引き継いでからは自分の元でコーチを務めていた仲間たちに育成部門の全てを託し、2007年のU-20W杯優勝を最後に彼らが全員退任するまで、後継者たちによる指導期間を合わせて実に13年もの間「アルゼンチンユースの黄金時代」を築き上げた。

 だが、ペケルマンの仲間たちが事実上解雇されてしまった後、アルゼンチン代表の育成部門はビジョンを失い、U-20代表も国際大会で勝てなくなってしまった。2012年のアルクディア国際ユーストーナメントで優勝したのは単発的な結果に過ぎず、13年間にわたって一貫した指導によって強化されたチームでは、その後10年の間に6人の監督が入れ替わり、2~3年、酷い時には1年毎にゼロからのスタートを切る羽目となり弱体化。

 特に2016年からAFA(アルゼンチンサッカー協会)がFIFA正常化委員会に任された間は育成部門が完全に放置された状態となり、ペケルマン監督の時代を取材してきた記者たちも「アルゼンチンが世界に誇るユース世代は見捨てられた」と嘆いた。時期を同じくしてA代表も迷走し、2018年のロシアW杯では予選落ちの危機に続いて本大会でもチーム崩壊という前代未聞の事態に陥ったことは記憶に新しい。

 今、アルゼンチン代表はユースからA代表までが「ペケルマンの教え子たち」に任され、再建の直中にある。A代表監督のリオネル・エスカローニ、同チームのアシスタントコーチを務めるワルテル・サムエル、A代表コーチとU-17代表監督を兼任するパブロ・アイマール、U-15代表監督のディエゴ・プラセンテ、育成部門の活動を統括するコーディネーターのベルナルド・ロメオは、全員が25年前のU-20W杯優勝メンバーだ。

 ユース代表の再建に向け、AFAがペケルマンの教え子たちに目をつけたのが2017年のこと。マレーシア優勝メンバーから最初に大役を抜擢されたのはアイマールとプラセンテだった。現場での指導経験がない彼らにU-15とU-17が任されたことで一部では物議を醸したが、2人がタッグを組んで参加した同年11月のU-15南米ユース選手権でアルゼンチンとしは同大会史上初となる優勝を成し遂げて一躍注目されることに。指導者としての新たなキャリアに挑むにあたってアイマールもプラセンテもペケルマンに助言を仰ぎ、彼らがユース代表時代に恩師から授かった多くの学びを活かすという理想像が再建プロジェクトに現実的に落とし込まれた形となった。

 その翌年、暫定監督としてU-20代表の指揮を任されたエスカローニがアイマールをコーチに従え、アルクディア国際ユーストーナメンで6年ぶりに優勝。ユース代表が再起の兆しを見せ始めたとほぼ同時期にエスカローニによって引き継がれたA代表も世代交代によって生まれ変わり、昨年のコパ・アメリカで28年ぶりのタイトルを獲得している。

 そして今年1月から、U-20代表がもう1人の「ペケルマンの教え子」、ハビエル・マスチェラーノに託された。マスチェラーノ監督率いるU-20代表は5月に開催されたモーリス・レベロ大会(旧トゥーロン国際ユース大会)で参加12チーム中5位に終わったものの、マンチェスター・ユナイテッド所属のアレハンドロ・ガルナチョやラツィオ所属のルカ・ロメロなどアルゼンチン国内のクラブでプレーした経験のない選手と、10代後半から早くも国内の1部リーグで経験を積んでいる選手という、全く異なる環境で育ってきた人材を融合させる興味深いチームビルディングを実践。来年開催されるU-20W杯出場を目指し、まずはその予選となるU-20南米ユース選手権を勝ち抜くことが課題だ。

 四半世紀の時を経て、ペケルマンの教え子たちによる復活に期待がかかるアルゼンチンユース代表。ついこの間までボールを蹴っていた代表OBたちの指導者としての今後の活躍が実に楽しみである。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)

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