【甲子園】慶応 代打清原Jrから6点逆転 甲子園が沸いて雰囲気一変 103年ぶり4強

2023年08月20日 05:05

野球

【甲子園】慶応 代打清原Jrから6点逆転 甲子園が沸いて雰囲気一変 103年ぶり4強
<沖縄尚学・慶応>6回、代打で出場し1打席目は投ゴロの慶応・清原(撮影・亀井 直樹) Photo By スポニチ
 【第105回全国高校野球選手権記念大会第12日準々決勝   慶応7―2沖縄尚学 ( 2023年8月19日    甲子園 )】 準々決勝4試合が行われ、慶応(神奈川)は沖縄尚学に7―2で勝ち、準優勝した1920年以来103年ぶりとなる準決勝進出を果たした。0―2の6回に西武などで活躍した清原和博氏(56)の次男・勝児内野手(2年)が先頭で代打出場。投ゴロに倒れたが、打線が一挙6点を奪って逆転した。初出場で初優勝した1916年以来、107年ぶりとなる全国制覇まであと2勝に迫った。
 とっておきの切り札が、試合の流れをガラリと変えた。0―2の6回。先頭で代打に送られたのが清原だった。「代打・清原君」の場内アナウンスとともに、球場全体から湧き起こった拍手と歓声。結果は投ゴロだったが、たった6球で甲子園を味方につけた。
 「代打清原で球場がワッとなる形を(初戦で)経験したので期待した。間接的に、あの逆転劇にも貢献してくれた」

 森林貴彦監督の狙いは的中する。指揮官と同じく、“清原効果”を実感したのが、続いて打席に入った丸田湊斗(3年)だった。
 「彼が出てくると、球場全体が沸いて、彼のものになる。こっちのもんだという雰囲気になる」

 余韻が残る中、初球のスライダーを右翼線二塁打。5回まで二塁も踏めず、3安打無得点に抑えられていたのがウソのように、四球を挟む5連打で相手エース・東恩納蒼(ひがしおんな・あおい=3年)をKOした。救援投手にも適時打を浴びせ、6連打で一挙6得点。大会屈指の好投手を攻略し、103年ぶりの4強を決めた。

 快勝劇に、ネット裏で見守った清原氏も舌を巻いた。「私がPL学園の時代だったら、こういうチームとの対戦は嫌ですね」。くしくも、1985年8月19日の準々決勝・高知商戦で左翼席へ甲子園史上最長とされる140メートル弾。父子で形は違っても、聖地を盛り上げたのは同じだった。

 前回4強入りした20年は大正9年。昭和、平成でもたどり着けなかった場所に、返り咲いた。「歴史の一ページを刻むような戦いができていることは純粋にうれしい」と森林監督。ただ、あくまでも通過点でしかない。清原は「優勝することが一番の恩返し」と何度も強調した。前回優勝した16年は、大阪府の豊中球場での開催だった。甲子園での全国制覇となれば、名門校にとっても初。1世紀の時を経て、「KEIO」が新たな歴史をしるす。 (村井 樹)

 ▽慶応 優勝した1916年、準優勝だった20年は前身の慶応普通部として東京代表で出場。50年に神奈川高野連に加盟して以降は、神奈川代表として出場している。47年の選抜にはともに前身にあたる慶応普通部と慶応商工が両校とも出場(出場回数は合わせて1回)。48年に慶応を開設し、新制高校の野球部として再出発。春夏通算29度の出場で優勝1度、準優勝1度。

 ▽1920年の世相 大正9年。2月の大学令により日本最初の私立大学として慶大、早大が設置された。同2月14日に第1回箱根駅伝が開催され東京高等師範学校が優勝。ベルギーで行われたアントワープ五輪で、8月に男子テニスの熊谷一弥が銀メダルに輝き、日本人第1号のメダリストとなった。大卒新入社員の月給は50~60円。山手線(東京)の最低運賃は5銭。首相は原敬。

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