高田文夫氏 昭和、平成のヒット番組を作り上げた「盟友」ビートたけしとの初対面「オレ勝ったな、と」
2024年03月02日 18:54
芸能
同じ時期に青空球児から「浅草にいるんだよ、〇〇〇〇(放送禁止用語)が」と“推薦”されたのも、同じコメディアン。「頭おかしいけど、絶対にテレビ出しちゃダメ」と言われ、高田氏は「ちょっと会うの怖いな」と思いながらも、興味が湧いたという。
浅草への演芸場へ足を運び、初めて「ツービート」の漫才を見て、「絶対テレビで1秒も使えないと思った」と高田氏は述懐する。「ブスは死ね、とか、山形の田舎もんですとか、赤信号みんなで渡れば怖くないって、あれをやってる頃だから」。超過激な芸風に少し「ひき」ながらも、芸人たちから「話をしてみたら気が合うよ」と言われ、会うことに。ここで高田氏は作戦を思いつく。
「浅草で会うと、あっちのテリトリーだから、やられちゃうじゃない。NHKで仕事あるってウソついてさ、渋谷まで来てくんないって言って」
“アウェー”での戦いを避け、高田氏は地元の渋谷にたけしを引き込むことに成功。「(たけしが)渋谷か。オレ初めて来たな。あがっちゃうなだって。オレ勝ったな、と思ったよ」。歴史的な会談が、昭和、平成に数多くのヒット番組を生み出す第一歩となった。