【中村真衣の目】金藤理絵 8年間の苦難乗り越え頂点 心から「おめでとう」
2016年08月12日 14:50
五輪
金藤選手は、北京五輪に出場し、ロンドン五輪の代表落ちを経験してリオ五輪を迎えました。少し状況は違いますが、わたしも似たような経験をしました。2000年シドニー五輪の銀メダルは、金を目指していたわたしにとっては納得のいかない悔しい結果でした。
04年のアテネ五輪で絶対に金メダルを獲りたい。その思いで4年間は死に物狂いで練習に取り組みました。しかし、アテネ五輪選考会で敗れ、金メダルどころか出場すらできませんでした。その4年間は、金を獲りたいという気持ちがいつしか、金を獲らなければ、期待に応えなければという重圧に変わっていってしまったのかもしれない。「シドニー五輪で引退しておけば…」「銀メダルを獲っていなければ…」。水泳と出合ってしまった自分、水泳をやっていた自分をうらみました。
申し訳なくて地元の長岡に帰る気持ちにもなれず、本当につらく苦しい思いをしました。選考会から半年後、最後にわたしを現役続行に動かしたのは「相手には負けても、自分には負けたくない」という気持ちでした。つらさから逃げることだけは、したくなかったのです。
わたしは結局、08年の北京五輪で金メダルを獲るという覚悟までは持てず、北京前年の07年に「やり切った!全てを出し切った!」という気持ちで27歳で引退をしました。でも、04年のあの時、あきらめることなく、つらさ、苦しさから逃げようとしていた自分に勝ち、乗り越えられたからこそ、今があるのだと思っています。
金藤選手の北京五輪からの8年間は、きっと平たんな道のりではなかったと思います。つらく、苦しいことの方が多かったのかもしれません。しかし、そのつらさ、苦しさと、金メダルを期待される重圧を乗り越えられたからこそ、今回の結果につながったのだと思います。最高の舞台で最高の結果を残すことができ、本当に素晴らしく、これこそがアスリートにとって、とても幸せな瞬間なのだろうと、見ていて涙が出てきました。金藤選手に、心からおめでとうと言うとともに、リオ五輪で結果を残せなかった若い選手も、金藤選手の姿を見て「いつか、わたしも」と目標にして頑張り、いろいろな困難を乗り越えていってほしいと思います。(2000年シドニー五輪女子100メートル背泳ぎ銀メダル)