“松山超え”蝉川、日本OP95年ぶりアマ戴冠 完全制覇で史上初のツアー2勝目

2022年10月24日 04:25

ゴルフ

“松山超え”蝉川、日本OP95年ぶりアマ戴冠 完全制覇で史上初のツアー2勝目
最終日、18番でパーパットを沈めガッツポーズする蝉川泰果。通算10アンダーでアマチュアとして95年ぶりに大会を制した Photo By 共同
 【男子ゴルフツアー日本オープン最終日 ( 2022年10月23日    兵庫県 三甲GCジャパン=7178ヤード、パー70 )】 新たな歴史の扉を開いた。蝉川泰果(21=東北福祉大4年)が、1927年第1回大会の赤星六郎以来となるアマチュア優勝と史上初めてアマチュアのツアー2勝目を挙げた。2位に6打差で出て2バーディー、2ボギー、1トリプルボギーの73とスコアを崩し、2打差まで詰め寄られたが逃げ切った。タイガー・ウッズにちなんだ名前を持つ期待の星が完全優勝で快挙を彩った。賞金ランク首位の比嘉一貴(27=フリー)が69と追い上げ通算8アンダーの2位で終えた。
 思い切り拳を振り下ろした。18番グリーンで見守る大ギャラリーの声援に応え、カラーから8メートルをパターで沈めた蝉川は笑顔でガッツポースをつくった。

 「勝つことを目標にした試合で勝ち切れたのは本当にうれしい。松山(英樹)さんでも(アマチュア)2勝はしていないので、“自分、やるな”と思いました」

 あの松山もできなかった95年ぶりの大会アマチュアVと史上初のアマチュアのツアー2勝目の偉業を成し遂げた。しかし、その道中は険しかった。1番から連続バーディーで8打差までリードを広げながら9番でグリーン奥の深いラフにつかまり2度も空振り。まさかのトリプルボギーを叩き、一気に2位の比嘉に4打差まで縮められた。

 それでも「攻めて魅せるゴルフをしないとお客さんが離れてしまう」と気持ちを奮い立たせ、最後は2打差を守って逃げ切った。

 気持ちの強さがセールスポイントだが、9月の世界アマチュアチーム選手権の個人戦で5打差をひっくり返され2位に終わった時はショックで落ち込んだ。父・佳明さん(61)に国際電話で「こんなつらい思いをするならゴルフやめようかな。普通に就職しようかな」と漏らした。悩んで円形脱毛症にもなったというが、切り替えの早さもその勝負強さの源だ。「あの子は叩かれて、叩かれて強くなってきた。急にゴルフがうまくなったわけではないんです」と佳明さん。蝉川自身も「(踏まれて強くなる)雑草魂でここまできました」と笑った。

 将来の夢は海外の4大メジャーを全て制することだ。「30歳までは日本でプレーして、それから海外に行きたい」とプランを明かす。ただの大風呂敷に聞こえないところが蝉川の魅力。「見ていて面白い、凄いと思われる、タイガー・ウッズのような選手になりたい」。その視線の先には無限の可能性が広がっている。

 ◇蝉川 泰果(せみかわ・たいが)2001年(平13)1月11日生まれ、兵庫県加東市出身の21歳。プラスチックのクラブで1歳からゴルフを始める。大阪・興国高を経て東北福祉大。同大では主将。6月の下部ツアーで史上5人目のアマチュア優勝。9月のパナソニック・オープンで史上6人目のアマチュア優勝。世界アマチュアランク1位。得意クラブは1W。1メートル77、75キロ。

 ▽赤星六郎 1901年(明34)生まれ、44年(昭19)没。鹿児島県出身。実業家、ゴルフ場設計家。米プリンストン大留学時代にゴルフを始める。帰国後にアマチュア選手として活躍。その後、英国のゴルフ場設計家のチャールズ・ヒュー・アリソン氏に師事し我孫子GCや相模CCの設計を行った。27年第1回日本オープンでは2位のプロ、浅見緑蔵に10打差をつけて優勝。ただ当時はアマの力が圧倒的で出場選手もアマ12人に対しプロ5人とプロは少数派だった。第1回大会で4位だった兄・四郎も日本アマ優勝2回などアマチュア選手として活躍した。

 ▽1927年(昭2)の世相 金融恐慌の中、不安を抱えながらも若者のファッション「モボ・モガ」が流行。前年12月の大正天皇崩御を受け、2月に大喪儀。7月に小説家・芥川龍之介が35歳で死去。8月には第1回都市対抗野球が開催され、サッカーでは日本代表が国際Aマッチ初勝利。12月に日本最初の地下鉄・銀座線が開通した。海外では米国でリンドバーグが大西洋の単独無着陸飛行に成功。ベーブ・ルースが初の60本塁打を放った。

おすすめテーマ

2022年10月24日のニュース

特集

スポーツのランキング

【楽天】オススメアイテム