【対談】落合氏、田淵氏の脳裏に残る死球の苦い思い出 田淵氏は「先生が、もう駄目ですよって」

2023年04月18日 17:00

野球

【対談】落合氏、田淵氏の脳裏に残る死球の苦い思い出 田淵氏は「先生が、もう駄目ですよって」
対談を行った落合博満氏(左)と田淵幸一氏 Photo By スポニチ
 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(69)が18日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。YouTube開設1年がたち、新企画として対談企画「博満の部屋」をスタートした。その記念すべき第1回目は強打の捕手として鳴らした田淵幸一氏(76)を招いて対談が行われた。
 7歳違いという2人の対談。今回の動画で4本目の更新となったが、20数年ぶりの再会とは思えないほど、打撃理論から始まり、本音をぶつけあう対談となった。プロ野球通算510本塁打の落合氏と、同474本塁打の田淵氏。2人の思い出に残る試合の話題となった。

 田淵氏は「江川(卓)から日本シリーズでホームランを打った。第1戦でね。あれ、いまだに(覚えてる)。あと第5戦で西本(聖)からホームランを打った。(昭和)58年の日本シリーズのホームラン」と西武時代の思い出とともに、「サヨナラホームラン打ったら、スタンドから大漁旗持っておっさんが降りてきて、一緒にサードからホームに行ったってのは覚えてるな。それだけ熱狂的だったんだね、阪神ファンは」と阪神時代についても語った。落合氏は「(阪急のエースで同じ秋田出身の)山田(久志)さんが200勝した試合(1982年4月29日)でホームランを3本打ったっていうゲーム」と挙げた。

 それよりも「デッドボールのことは覚えている」と2人は口をそろえた。落合氏は「平和台球場で、(西武の)東尾(修)さんからスライダーが抜けてきたんだ」と1982年7月7日の試合での死球について語った。「シュートだったら逃げられる。向かってくるから。(視界の)後ろに消えたの」と落合氏。「解説者が、“いや、あれは緩いボールだから大丈夫です”って言ってるわけよ」としたが、実際は「生まれて初めて救急車乗ったのが平和台球場」と語る状況だった。「俺はバッターボックスでトレーナーが来て手当してくれているわけよ。他の連中、みんなマウンド行って乱闘騒ぎよ」と話した。

 田淵氏は阪神時代の1970年8月26日に甲子園球場で行われた広島戦での死球の写真を見て「これ初めて見たけど、こんな血が出てると思わなかった」と振り返った。入団2年目。3回1死走者なしの場面で、広島・外木場義郎が投じた1球が左側頭部に当たる。倒れこんだ田淵氏はピクピクとけいれんし、耳、鼻、口、さらには目からも血を流すアクシデントで、左耳鼓膜を裂傷する重傷だった。田淵氏は「あの時ね、当時球団に常駐している白衣着た先生がいて、(グラウンドに)歩いてきて、(当時阪神監督の)村山さんに、こうやったのよ、もう駄目ですよって。俺、殺されたんだよ1回」と話して腕を横に振った。その話は後日、法政時代のチームメートだった広島・山本浩二氏から聞いたという。「ブチお前な、先生が手を振って、もう駄目だって、村山さんに言ってたぞって」と振り返った。この田淵氏の死球から、耳当てヘルメットが誕生することとなった。

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