【ROOKIES 猛虎ファイル】ドラ2椎葉(1) 投手捕手二刀流に主将も任され

2023年12月22日 05:15

野球

【ROOKIES 猛虎ファイル】ドラ2椎葉(1) 投手捕手二刀流に主将も任され
高倉台ポニーズで捕手としてもプレーする小6時の椎葉(家族提供) Photo By 提供写真
 阪神のドラフト2位・椎葉剛投手(21=四国IL・徳島)をひと言で表現するなら、「無類の野球好き」だ。それは、少年野球を始める前から。野球を誰よりも愛し、強い意志で取り組み、成長し、自ら道を切り開いてきた。社会人、独立リーグを経て、プロのスタートラインに立った最速159キロ右腕。その歩みを追った。 (八木 勇磨)
 【幼少期】椎葉の母・美貴子さんは、我が子の幼少期を昨日のことのように回想する。「ベビーカーに乗せた覚えが全然なくて…。お兄ちゃんたちにくっついて、ずっと走り回っていました」。だから、抱っこして寝かしつけた記憶はない。疲れ果て「コテン、ってすぐ寝るんです」。剛は3兄弟の末っ子。美貴子さんは「1人目だとかわいい!ってなるけど、3人目なので(笑い)。上に2人いたし、私も生活に必死で…」。親の放任をいいことに、自由奔放に遊び、毎日泥んこになり、生傷も絶えなかった。

 剛は3月の早生まれ。4月生まれの子とは丸一年、成長差が生まれる。3~4歳時はその差が顕著。剛が4月生まれの同い年の女の子に手をつながれ、世話をしてもらったこともあった。「みんなは4歳だけど、うちの子は3歳って感じで」と美貴子さん。このころ、のちの「職業」となるスポーツに出合う。

 幼稚園卒園が近づく年長の終わり頃、剛は自宅前のグラウンドで白球を追う近所のお兄ちゃんたちにくぎ付けになった。入口でサッカーボールに腰掛け、練習を見つめる日々。美貴子さんは「ずっと見ていましたね。野球をやりたかったのかな」。少年野球チームは通常、小学生から入団。剛は「入りたい!」と両親に頼み込んだ。でも野球を始めると、家族で旅行にも行けないし休日もつぶれる。それでも剛は「オレだけ野球するから!」と言って聞かなかった。

 熱意に根負けした家族は、「高倉台ポニーズ」への入団を決めた。プロ選手も輩出した強豪で「私の友達もチームにいたので“あなたが来られないときは私が面倒見るよ”って」。一回りも二回りも体の大きい小学生に混じり、剛は無我夢中で白球を追った。

 【高倉台ポニーズ時代】三原台小の6年間でチーム活動を休んだのは、インフルエンザに罹患(りかん)した一日だけ。「やめたい」と口にしたことは一度もない。剛が何かの拍子に美貴子さんに叱られ「野球やめたらいいねん!」と言われても「おかん、どれだけ言われてもやめへんから、もうそれ言わんといて」と“一蹴”した。どれだけ疲れて帰宅しても、グラブとスパイクを必ず手入れ。グラブにはソフトボールを入れバンドで巻き、型崩れ防止に細心の注意を払った。

 選手数が少なく、かつ学年ごとにチーム分けされていたため、低学年から試合に出始めた。ポジションは投手兼捕手。「投げたい、投げたいと監督に直訴してました」と美貴子さんは懐かしむ。今では剛速球で相手をねじ伏せる剛も、低学年当時は四球、暴投のオンパレードで、ボコボコに打たれたこともあった。「20点以上取られたかな。でも全然こたえていなかった」(美貴子さん)。強固なメンタルは生まれつき。6年生になると主将も任され、グイグイと仲間を率いた。

 卒業後は三原台中学に進学した。「ボーイズに入って、将来甲子園に出場したい」という剛の意志と、美貴子さんの「私も剛も、誰も知らないチームに入っていくのもいいかな」という思いを掛け合わせ、複数のチームの練習を見学した上で「富田林ボーイズ」への加入を決めた。

 ※【富田林ボーイズ時代】へ続く

 ▽椎葉 剛(しいば・つよし)プロフィル

 ☆生まれ&サイズ 2002年(平14)3月18日生まれ、大阪府堺市出身の21歳。1メートル82、92キロ。右投げ右打ち。

 ☆球歴 小1時に高倉台ポニーズで野球を始めて投手と捕手。中学では富田林ボーイズに所属。島原中央では1年春から背番号2でベンチ入りし、3年夏から背番号1。甲子園出場はなし。高卒でミキハウスに入社し、今年から徳島に入団。

 ☆バイト先で増量 アルバイト先の焼き肉店の賄いで、体重増に成功。「初めて白ご飯で2合を食べられた。体重増やすために頑張った。最初は40分ぐらいかかった」。

 ☆159キロ 徳島の入団トライアウト時は最速142キロ。ウエートトレーニングと7キロの体重増で、9月の独立リーググランドチャンピオンシップの富山戦では159キロを計測した。

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