【コラム】戸塚啓
日本サッカー界 平成を振り返る
2019年04月25日 20:00
サッカー
強化の土台としてのプロリーグも誕生した。93年の開幕当初はジーコ、リトバルスキー、リネカーらかつてのスーパースターが数多く来日し、ヨーロッパから年金リーグと揶揄されたこともあったが、彼ら外国人選手は有形無形の財産を残してくれた。外国人選手のすべてが日本で成功したわけではないが、実際にピッチ上で彼らと対戦した選手に加え、のちにJリーガーとなる育成年代が良質なプレーモデルを得たのは、日本サッカーのレベルを押し上げる一助となったはずである。
平成から令和へ移り変わるいま、イニエスタ、F・トーレス、D・ビジャ、ポドルスキらがJリーグでプレーしているのも、これから大きな価値を持っていくに違いない。“VIPトリオ”のヴィッセルはリージョ監督との契約を解除し、トーレスのサガン鳥栖は8節終了時点で最下位に沈んでいる。どちらのチームも期待どおりのシーズンを過ごせていないが、彼らが日本のピッチでプレーした意義は、令和の時代にこそ浮かび上がってくるだろう。
平成の日本サッカーから、消えたもののある。
日韓定期戦だ。平成3年(1991年)7月の一戦を最後に開催されていない。
平成元年(90年)に日本、韓国、中国、北朝鮮の極東4か国が対戦するダイナスティカップがスタートし、東アジア選手権、E-1選手権と名称を変えながら17年まで行われてきた。北朝鮮の代わりに香港やオーストラリアが出場することもあるが、日韓戦は必ず実現している。
国際AマッチデイがFIFAのもとで世界共通のカレンダーとなり、貴重なテストマッチの機会はできるだけ強い相手と、というのが両国に共通する強化のスタンスだろう。アジアを勝ち抜くためではなくワールドカップで結果を残すことがターゲットとなった現在は、そもそも日韓戦の存在意義が薄らいでいるのも否定できない。
それでも、個人的には日韓戦が見たいのだ。
E-1選手権での対決では、どちらもほぼ国内組でチームを編成する。それでは物足りないと、言うつもりはない。ただ、「主力同士の対戦ではない」という前提に、観戦する熱を削がれてしまうのである。日韓戦に勝利したときの爆発的な喜びも、負けたときに味わった悔しさや絶望感も、沸き上がってこないのだ。
貴重なテストマッチのひとつを日韓戦に充てるのは、どちらのチームにとってもメリットは見つけにくい。それにしても、あのヒリヒリするような感情の昂ぶりが、いまはとても懐かしい。(戸塚啓=スポーツライター)