【落合×東尾対談】東尾氏の転機となった「黒い霧事件」と「負けるという財産」 落合氏も同調

2023年06月14日 17:00

野球

【落合×東尾対談】東尾氏の転機となった「黒い霧事件」と「負けるという財産」 落合氏も同調
「落合博満のオレ流チャンネル」に出演した東尾修氏(右)と握手を交わす落合博満氏 Photo By スポニチ
 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(69)が14日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。「博満の部屋」の第2回目としてプロ野球歴代10位の通算251勝を挙げた東尾修氏(73)をゲストに招いて対談を行った。
 1950年5月生まれの東尾氏に対し、落合氏は1953年12月生まれで3学年しか変わらないが、東尾氏は箕島高(和歌山)から1968年ドラフト1位で西鉄に入団。落合氏は社会人を経て、25歳の1978年ドラフト3位でロッテに入団した。

 東尾氏は高卒1年目となった1969年。稲尾和久さん、池永正明さんといった名だたる投手を見て、野手転向を願い出たこともあったという。落合氏が「ピッチャー辞めるって言って、打者になるとかって言ったけども、なんで思いとどまったんですか」と質問すると、東尾氏は「思いとどまったっていうよりも、ドラフト1位で入ったから“今年は我慢してやっとけ”って(言われた)。そうこうしているうちに、黒い霧事件のいろいろ、そういうこと起こってきたから」と打ち明けた。

 「黒い霧事件」とは、選手が金銭の授受を伴う八百長に関与したとされる疑惑、事件で、1969~71年に発覚した。暴力団の絡んだ不祥事に国会でも追及の声が上がり、野球協約の「敗退行為」に該当するとして、西鉄選手ら計6人が永久失格処分を受けるなどした。池永氏は05年、処分に関する野球協約の改正を受け、球界復帰を果たした。

 1年目の69年は0勝2敗で防御率8.40だったが、2年目の70年は11勝18敗、防御率5.15と負けながらも登板機会は一気に増えた。東尾氏は「(黒い霧事件で)もうピッチャーがいなくなっちゃった。これはちょっと申し訳ないんだけど、それは自分にとっては、ものすごくチャンス。負けても投げさせてくれるし、自分にとっては良かった」と正直に打ち明けた。

 ただ、すぐに大きく勝利数が伸びるわけではない。実際、3年目の71年は8勝16敗、72年は18勝25敗。ただ、防御率は71年が3.75、72年が3.66と改善していった。「まぁ、そんなスピードもないし、技術もないから、やっぱりすごく負けて…。じゃあどうしようか、っていうことになっていって。何かをせないかん。キャッチャーとかスコアラーと組んで、“どうしようか、どうしようか”って。結果は伴って出てこないんだけれでも、どんどん負けてから強くなったっていうか。いろんなことを工夫するように、自分で考えるようになった」と語った。

 「負ける財産というのかな」と東尾氏が言うと、落合氏も「負けてションボリするんじゃなくて、“なんで負けたんだろう”“なんで打たれたんだろう”っていうね。それを考えられるピッチャー、野手っていうのは大成すると思う。そこでへこんじゃうと、ずるずる、ずるずる落っこちていっちゃうんだろうと思うしね」と同調していた。

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