東国原英夫氏 フライデー襲撃事件は「行きたくなかった」理由をぶっちゃけ 「一生獲れないと思ったから」
2024年03月04日 15:37
芸能
ボードの29歳のところはたけし軍団として活動している時期で「体当たり芸人のパイオニア レギュラー10本」とグラフは上昇しているものの、その後下降線をたどり、同じ29歳の出来事として「芸能人の天敵を襲撃」との説明が。それは1986年12月の「フライデー襲撃事件」のことで、ビートたけしが写真誌「フライデー」の記者に怒り、たけし軍団のメンバー11人を連れて同誌編集部を襲撃したというものだった。
「殴り込みですよ。軍団で行ったんです。深夜ね。12時ぐらいに」と回顧したが、「私は行きたくなかった」と意外な思いを打ち明けた。
「行きたくない理由は2つあった」と言い、「12月、年末年始は芸能人にとってかき入れ時、スケジュールも真っ黒、そんな集団暴行したら全部飛ぶと思うじゃないですか。それで僕は反対だった」と東国原氏。
「もう一つ行きたくない理由があった」とも語り、「僕は小説を読むのが好きで推理小説を。推理小説を書いてある賞が欲しかった。推理小説の賞の最高峰って江戸川乱歩賞なんです。江戸川乱歩賞を獲りたかった。江戸川乱歩賞を主催しているのが講談社なんです。フライデーも講談社。ですから、フライデーに襲撃したら一生獲れないと思ったから、僕は“(写真週刊誌の)フォーカスになりませんか”って言ったんです」と話して笑わせた。
それでも「フライデーされたから襲撃に行ったわけですよ。それでもフライデー行ったら江戸川乱歩賞獲れないじゃないですか。普通はフォーカス行きますよね」と平然と話した。
結局フライデーへの殴り込みには参加、「で行きたくなかったんで一番最後にエレベーターに乗った。消極的に乗りました、編集部へ行きました」と話したものの、「一番最後に乗ったので一番前」でエレベーターを降りることになったとした。
「これで謹慎ですからね。仕事全部キャンセルですよ。年末年始はね」と振り返った。