桂ざこばさん急死 上方落語代表する落語家、76歳、ぜんそくで 2月が最後の一席に

2024年06月13日 04:45

芸能

桂ざこばさん急死 上方落語代表する落語家、76歳、ぜんそくで 2月が最後の一席に
08年、襲名公演で、熱演する桂ざこばさん
 故桂米朝さんの弟子で上方落語界を代表する落語家として活躍し、テレビ番組でも人気を集めた桂ざこば(かつら・ざこば、本名関口弘=せきぐち・ひろむ)さんが12日午前3時14分、ぜんそくのため大阪府吹田市の自宅で亡くなった。76歳。大阪市出身。葬儀は近親者のみで営む。喪主は非公表。後日、お別れ会を開く予定。近年は体調が優れず、高座の出番も減っていた。
 口は悪いが情にもろい。2015年3月に米朝さんが亡くなって以降、米朝一門の中心となって後輩落語家を引っ張ってきたざこばさんの急死。所属事務所の滝川裕久社長も「あまりに突然のことで…」と素直に受け入れられないようだった。

 米朝事務所によると、前日11日も普段通りに夕食を取って就寝したが、夜中にぜんそくの発作を起こして意識を失った。119番通報するも間に合わず、半世紀以上連れ添った夫人にみとられ、そのまま自宅で息を引き取ったという。

 最後に公の場に姿を見せたのは4月30日に大阪市内で開いた弟子3人の会見。その場で「もう、あきまへんねん。ぜんそくで…」と弱気な一面を見せていた。2月23日に兵庫・宝塚で演じた「上燗屋(じょうかんや)」が最後の一席となった。

 落語家生活55年を迎えた17年5月、左中大脳動脈閉鎖症、塞栓性脳梗塞と診断されて入院。2カ月後の落語会に入院先から駆け付けて活動を再開させ、退院後もリハビリを続けながら活動を続けた。ただ最近は思うように一席を演じられず、体調不良で出番に代役を立てたり、寄席の大トリも「しんどいから頼むわ」と後輩に譲ることが徐々に多くなっていた。

 中学卒業後の1963年5月に15歳で米朝さんに入門。桂朝丸を名乗った。初舞台は3カ月後の京都拘置所での「子ほめ」。米朝さんの内弟子として家族同様に一緒に生活しながら、落語の腕を磨いた。

 一方で米朝さん司会の関西テレビ「お笑いとんち袋」(65年)の出演や日本テレビ系「ウィークエンダー」のリポーターなどテレビでも活躍。知名度は全国区となり、一時はテレビ、ラジオで9本のレギュラーを抱える人気タレントとなった。

 独演会も常に満員の盛況ぶり。兄弟子の故桂枝雀さんの勧めもあり、88年に二代目桂ざこばを襲名した。テレビ番組では感情をむき出しにした歯に衣(きぬ)着せぬ発言で視聴者を楽しませたが、還暦を迎えたころから「タレント活動を減らしたい」と落語会中心の活動へとシフトチェンジしていった。

 今年4月の会見では、ひろば(45)、ちょうば(45)、そうば(45)の弟子3人が来年3月に上方落語の歴史的名跡を継ぐことになり「ありがたいこっちゃ」と喜んでいた。同月には米朝さんの没後10年祭で襲名披露公演が行われる予定だったが、弟子の晴れ舞台を見ることなく帰らぬ人となった。

 桂 ざこば(かつら・ざこば、本名・関口弘=せきぐち・ひろむ)1947年(昭22)9月21日生まれ、大阪市出身。中学卒業後に故桂米朝さんに弟子入りし、桂朝丸を名乗る。88年に二代目桂ざこばを襲名。92年に上方お笑い大賞の大賞、2017年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。08年12月、実家に隣接する土地に落語定席「動楽亭」をオープン。筆頭弟子は桂塩鯛。血液型O。

 ≪死亡に至る原因は発作による窒息死≫日本のぜんそく患者は推定1000万人とされており、年間約1500人がぜんそくで死亡する。1980年代には年間約6000人が死亡していたが、ステロイド吸入薬などの普及により減少している。死亡に至る原因は、重篤な発作による窒息死で、小児よりも成人の方が多い。成人の約90%は60歳以上で、高齢者は注意が必要。成人ぜんそく死では、発作開始後1時間以内が約14%、3時間以内と合わせると約30%となり、急死が多い。

 ▼笑福亭鶴光 ざこば兄さんとは一門が違うのに、兄弟のように仲良くしていただきました。これで兄貴と呼べる人がまた亡くなり、寂しい限りです。あの世で大好きな米朝師匠とゆっくり落語談議をしてください。

 ▼DA PUMP・ISSA(私生活で親交、舞台でも共演)突然の悲報に接し、なんとも申し伝えにくい気持ちでいっぱいです。師匠との思い出は数知れず、今は心に穴があいたように何も考えることができません。たくさんの感謝をこめてご冥福をお祈りします。

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