山崎育三郎 一人で祖父母を…高校時代の壮絶介護「ご飯作っても手で」 両親離婚、兄弟は米、NZ、香川に
2024年06月09日 09:29
芸能
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「ずっとやってると、おじいちゃんおばあちゃんも孫にやってもらっているっていう感覚もなくなってきて、お手伝いしてくれる人みたいな感じで」とした上で「ご飯作っても手でバンってはじかれたり、“ありがとう”とかも言わなくなるし」と壮絶な介護生活を振り返った。続けて「学生の僕が2人を見るっていうその時間が人生で一番しんどかった」と胸の内を明かした。
その生活は舞台「レ・ミゼラブル」のオーディションに合格する19歳までの2、3年間続いたという。しかし「自分の中で夢があったので、ミュージカルに出るっていう。それが支えだったんで」とし「しんどいときは劇場行ってミュージカル見て“いつかここに立つんだ!”って、また介護生活戻るみたいな感覚でしたね」と回想。その流れで父親がたまに北海道から東京に帰った時に、連れて行ってもらったという思い出の串揚げ店を紹介した。「息子に任せてるんで、父親も。“頼むね”って“いつもありがとう”っていう気持ちもあったと思うんですけどね。そういう色んな話をした記憶がありますね」と父親の当時の気持ちもおもんぱかった。
そんな壮絶な介護生活も「いろんな経験を10代でできたのは大きいですね」ととらえ「その経験があったので、仕事入ってからあんまりしんどいことがない」と現在の俳優生活の糧になっていると語った。