大八木、平尾は神戸製鋼ではなく実はワールドへの就職が濃厚だった!?藪木氏が神戸製鋼を選んだ理由は――
2024年01月26日 19:05
ラグビー
対談動画はこちらから】
藪木氏(以下藪木) 中学生までは野球少年だったんですけど、平尾さんのおられた伏見工業の初優勝の試合を偶然テレビで見て、ラグビーを始めることになりました。野球で甲子園目指すよりはラグビーで花園を目指そうと思い、山口県の大津高校(現 大津緑洋)に進学しました。
大八木氏(以下大八木) 花園は出場したの?
藪木 2年、3年と出場しました。黒沢尻工業、熊谷工業、大工大高校(現常翔学園)に勝って、準決勝で大分舞鶴高校に負けました。当時はスクラムハーフでした。
大八木 そこから明治大学に行くんやね。なんで明治大学やったの?
藪木 同志社大学に落ちたんです。セレクションで落とされました。大八木さん、平尾さんがおられて、他にもいいメンバーがそろっておられたので、同志社にあこがれてセレクションを受けたのですが落とされました。
大八木 でも、明治大学に行った方が良かったんちゃうの?
藪木 4年間、明治で鍛えられたのでね。明治の4年間があったので今があるというのもありますね。
大八木 明治の時はどんな活躍やったん?
藪木 同じポジションには二学年上にトヨタ自動車に行かれた南隆雄さんがおられて。4年のときはキャプテンです。私はずっと控え以下ですよね。南さんが卒業され、さあ私の番だと思ったら、一つ下に秋田工業から来た安東文明くんがいて、すごくうまくてレギュラーは奪われました。
大八木 そこから神戸製鋼に来ることになるんやけど。
藪木 3年生から4年生になるときにオール明治でニュージーランドに遠征したんです。そこでラグビー観が変わりました。こんなラグビーがあるんだと。日本ではキックが主流で、エリアだけを取るスタイルだったのですが、ニュージーランドはフィジカルが強くて、当たりが強いのはもちろんですが、バックスもすごくボールを回して。キックの距離も倍くらい飛んで。すべてがけた違いのラグビーでしたね。
就職は新日鉄釜石さん、日新製鋼さん、リコーさんなどいろいろと声をかけていただいたのですが、実力的に試合に出ていなかったので無理かなと思って、博報堂に内々定をいただいていました。
そんな時にすでに神戸製鋼に就職が決まっていた明治のキャプテンだった大西一平に「おもろいオッサンと会わないか」と声をかけられて一緒に行ったら、亀高素吉さん(当時副社長、元神戸製鋼会長)がおられて、お会いした瞬間に「どやっ」と手を差し出されたんですけど、博報堂に決まっていたので丁重にお断りしたんです。最後には“来週、もう一回会ってくれ”と言われ、翌週に会いました。
そのときに「平尾くんとハーフ団を組んで神戸製鋼を日本一にしてくれ」と熱く語っていただいて、その時に私の表情が変わったんだと思うんですよね。その時にスーッと手を出されて思わず握手をしてしまいました。それで神戸製鋼に決定しました。
大八木 (亀高さんは)人を見る、説得する力というのはメチャクチャあったんよね。
藪木くんの高校時代、明治大学時代の話を聞いたので、ぼくにも語らせてください。
伏見工業からは僕が初めて同志社大学に行ったんです。恩師の山口先生は、本当は関東の大学に行って欲しかったんですけどね。僕が高校2年のときは同志社高校が強くて。そのメンバーが主体で国体に行った時に私もメンバーに選ばれて、そこで初めて岡仁詩先生(故人・元同志社大監督)会ったんです。そのときに岡先生から“関西の人間がみんな明治とか関東に行って、大八木どう思う?”と言われてね。同志社を受験して受かって商学部に入学するわけです。
就職は当然いろいろなチームからオファーがあった。今だから話せるけど、実はファッションブランドのメンズバツの創設者である松本瑠樹(るき・故人)さんが大きく関係しているんよ。
平尾が伏見工3年のときにNHKの特番で伏見工の特集を見て、感動して伏見工のグラウンドに来られたんよ。当時アパレル界で1番、2番を争っていた人。平尾も私もその後、経営論とかファッションとかいろいろ影響を受けることになるんやけどね。
そんな時に原宿協議会でワールドの創業者である畑崎広敏さんが、松本さんに質問したんよ。当時はまだワールドにラグビー部(1984年創部)がなかったとき。当時ワールドの服はミセスのイメージで、若い子に対してどうすべきかを松本さんに聞かれたんです。すると「それはスポーツ」と答えが返ってきた。
そこでワールドにラグビー部を創設するとなった。チームの監督は山口良治先生(元伏見工業監督)に決まっていた。山口先生が監督になれば、当然、平尾、大八木は来るよね。当然、松本さんには大学の時に説明を受けた。脈々とワールドの話は進んでいった。
その前、大学2年から亀高さんに呼ばれて、毎回に飲みに連れて行ってもらってた。亀高さんが「うちには林(敏之)というのがおんねん。ジェット旅客機も一つのエンジンやったらあかんやろ。2基いる1個になってくれと」とずっと言われていたんよ。でも断り続けていた。
いよいよワールドに行く(就職する方向)となった時に、(ワールドの)畑崎さんが同志社のOBにも(ラグビー部創設を)相談していた。そのOBの方はすごく良いかたで、当然、岡仁詩先生に相談するよね。じゃあ岡先生は日本代表のNO.8として活躍された「小笠原博さんを監督にすべき」と言われた。これで、これまでの(構想が)全部終わったんよ。
そうなった時に偶然にも山口先生と亀高さんが新幹線で同じ車両になって、亀高さんは山口先生に「大八木を勧誘している」という話に当然なるよね。
ワールドは小笠原さんが監督になることで、おれらは「(ワールドへの就職は)もうやめよ」となった。
畑崎さんは菊池武夫をデザイナーとして引き抜き、「モールラック」というブランドを作ったんやけどね。あのときに、もし岡先生に相談していなかったら、画期的に日本のラグビー界は変わっていたかも知れない。
ワールドのブランドで大八木、平尾がタケオキクチのデザインしたユニホームを着たりしていたら変わっていたと思うよ。
◇藪木 宏之(やぶき・ひろゆき)1966年(昭41)3月12日、山口県生まれの57歳。山口・大津高からラグビーを始め、明治大―神戸製鋼。神戸製鋼では日本選手権7連覇に貢献。2019年に日本で開催されたワールドカップでは日本代表のチームメディアマネジャーを務めた。現役時代のポジションはスタンドオフ、スクラムハーフ。
◇大八木 淳史(おおやぎ・あつし)1961年(昭36)8月15日、京都市生まれの62歳。伏見工からラグビーを始め、同志社大―神戸製鋼。同志社大時代は大学選手権3連覇、神戸製鋼時代は日本選手権7連覇に貢献。現役時代のポジションはロック。日本代表キャップ30。
元ラグビー日本代表の大八木淳史氏(62)がゲストを招いてトークする「レジェンド対談」。第3弾は大八木氏の元同僚で、神戸製鋼ラグビー部(現コベルコ神戸スティーラーズ)のスタンドオフ、スクラムハーフとして活躍し、7連覇に導いた藪木宏之氏(57)です。第1回(全5回)は「80年代のラグビー 神戸製鋼へ――」(対談映像はYouTube「スポニチチャンネル」で配信中です) 【藪木氏(以下藪木) 中学生までは野球少年だったんですけど、平尾さんのおられた伏見工業の初優勝の試合を偶然テレビで見て、ラグビーを始めることになりました。野球で甲子園目指すよりはラグビーで花園を目指そうと思い、山口県の大津高校(現 大津緑洋)に進学しました。
大八木氏(以下大八木) 花園は出場したの?
藪木 2年、3年と出場しました。黒沢尻工業、熊谷工業、大工大高校(現常翔学園)に勝って、準決勝で大分舞鶴高校に負けました。当時はスクラムハーフでした。
大八木 そこから明治大学に行くんやね。なんで明治大学やったの?
藪木 同志社大学に落ちたんです。セレクションで落とされました。大八木さん、平尾さんがおられて、他にもいいメンバーがそろっておられたので、同志社にあこがれてセレクションを受けたのですが落とされました。
大八木 でも、明治大学に行った方が良かったんちゃうの?
藪木 4年間、明治で鍛えられたのでね。明治の4年間があったので今があるというのもありますね。
大八木 明治の時はどんな活躍やったん?
藪木 同じポジションには二学年上にトヨタ自動車に行かれた南隆雄さんがおられて。4年のときはキャプテンです。私はずっと控え以下ですよね。南さんが卒業され、さあ私の番だと思ったら、一つ下に秋田工業から来た安東文明くんがいて、すごくうまくてレギュラーは奪われました。
大八木 そこから神戸製鋼に来ることになるんやけど。
藪木 3年生から4年生になるときにオール明治でニュージーランドに遠征したんです。そこでラグビー観が変わりました。こんなラグビーがあるんだと。日本ではキックが主流で、エリアだけを取るスタイルだったのですが、ニュージーランドはフィジカルが強くて、当たりが強いのはもちろんですが、バックスもすごくボールを回して。キックの距離も倍くらい飛んで。すべてがけた違いのラグビーでしたね。
就職は新日鉄釜石さん、日新製鋼さん、リコーさんなどいろいろと声をかけていただいたのですが、実力的に試合に出ていなかったので無理かなと思って、博報堂に内々定をいただいていました。
そんな時にすでに神戸製鋼に就職が決まっていた明治のキャプテンだった大西一平に「おもろいオッサンと会わないか」と声をかけられて一緒に行ったら、亀高素吉さん(当時副社長、元神戸製鋼会長)がおられて、お会いした瞬間に「どやっ」と手を差し出されたんですけど、博報堂に決まっていたので丁重にお断りしたんです。最後には“来週、もう一回会ってくれ”と言われ、翌週に会いました。
そのときに「平尾くんとハーフ団を組んで神戸製鋼を日本一にしてくれ」と熱く語っていただいて、その時に私の表情が変わったんだと思うんですよね。その時にスーッと手を出されて思わず握手をしてしまいました。それで神戸製鋼に決定しました。
大八木 (亀高さんは)人を見る、説得する力というのはメチャクチャあったんよね。
藪木くんの高校時代、明治大学時代の話を聞いたので、ぼくにも語らせてください。
伏見工業からは僕が初めて同志社大学に行ったんです。恩師の山口先生は、本当は関東の大学に行って欲しかったんですけどね。僕が高校2年のときは同志社高校が強くて。そのメンバーが主体で国体に行った時に私もメンバーに選ばれて、そこで初めて岡仁詩先生(故人・元同志社大監督)会ったんです。そのときに岡先生から“関西の人間がみんな明治とか関東に行って、大八木どう思う?”と言われてね。同志社を受験して受かって商学部に入学するわけです。
就職は当然いろいろなチームからオファーがあった。今だから話せるけど、実はファッションブランドのメンズバツの創設者である松本瑠樹(るき・故人)さんが大きく関係しているんよ。
平尾が伏見工3年のときにNHKの特番で伏見工の特集を見て、感動して伏見工のグラウンドに来られたんよ。当時アパレル界で1番、2番を争っていた人。平尾も私もその後、経営論とかファッションとかいろいろ影響を受けることになるんやけどね。
そんな時に原宿協議会でワールドの創業者である畑崎広敏さんが、松本さんに質問したんよ。当時はまだワールドにラグビー部(1984年創部)がなかったとき。当時ワールドの服はミセスのイメージで、若い子に対してどうすべきかを松本さんに聞かれたんです。すると「それはスポーツ」と答えが返ってきた。
そこでワールドにラグビー部を創設するとなった。チームの監督は山口良治先生(元伏見工業監督)に決まっていた。山口先生が監督になれば、当然、平尾、大八木は来るよね。当然、松本さんには大学の時に説明を受けた。脈々とワールドの話は進んでいった。
その前、大学2年から亀高さんに呼ばれて、毎回に飲みに連れて行ってもらってた。亀高さんが「うちには林(敏之)というのがおんねん。ジェット旅客機も一つのエンジンやったらあかんやろ。2基いる1個になってくれと」とずっと言われていたんよ。でも断り続けていた。
いよいよワールドに行く(就職する方向)となった時に、(ワールドの)畑崎さんが同志社のOBにも(ラグビー部創設を)相談していた。そのOBの方はすごく良いかたで、当然、岡仁詩先生に相談するよね。じゃあ岡先生は日本代表のNO.8として活躍された「小笠原博さんを監督にすべき」と言われた。これで、これまでの(構想が)全部終わったんよ。
そうなった時に偶然にも山口先生と亀高さんが新幹線で同じ車両になって、亀高さんは山口先生に「大八木を勧誘している」という話に当然なるよね。
ワールドは小笠原さんが監督になることで、おれらは「(ワールドへの就職は)もうやめよ」となった。
畑崎さんは菊池武夫をデザイナーとして引き抜き、「モールラック」というブランドを作ったんやけどね。あのときに、もし岡先生に相談していなかったら、画期的に日本のラグビー界は変わっていたかも知れない。
ワールドのブランドで大八木、平尾がタケオキクチのデザインしたユニホームを着たりしていたら変わっていたと思うよ。
◇藪木 宏之(やぶき・ひろゆき)1966年(昭41)3月12日、山口県生まれの57歳。山口・大津高からラグビーを始め、明治大―神戸製鋼。神戸製鋼では日本選手権7連覇に貢献。2019年に日本で開催されたワールドカップでは日本代表のチームメディアマネジャーを務めた。現役時代のポジションはスタンドオフ、スクラムハーフ。
◇大八木 淳史(おおやぎ・あつし)1961年(昭36)8月15日、京都市生まれの62歳。伏見工からラグビーを始め、同志社大―神戸製鋼。同志社大時代は大学選手権3連覇、神戸製鋼時代は日本選手権7連覇に貢献。現役時代のポジションはロック。日本代表キャップ30。
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