【甲子園】慶応 95年越し広陵に雪辱で8強 107年ぶり頂点へ 今春涙の松井がリベンジ好救援

2023年08月17日 05:30

野球

【甲子園】慶応 95年越し広陵に雪辱で8強 107年ぶり頂点へ 今春涙の松井がリベンジ好救援
<広陵・慶応>試合に勝利し、笑顔で挨拶に向かう慶応ナイン (撮影・後藤 大輝) Photo By スポニチ
 【第105回全国高校野球選手権記念大会第10日3回戦   慶応6―3広陵 ( 2023年8月16日    甲子園 )】 悠久の時を経て雪辱し、107年ぶりの全国制覇へ前進した。慶応(神奈川)が延長10回タイブレークの末、創部100年を超える広陵(広島)との伝統校対決に6―3で勝利。1929年春に敗れた先人の無念を晴らし、08年夏以来15年ぶりのベスト8進出となった。9回から救援した松井喜一投手(3年)は2回を1安打無失点に封じる好投。今春選抜の初戦でサヨナラ負けしたリベンジを果たした。
 右手で強くグラブを叩き、思いっきり叫んだ。最後の打者を空振り三振に打ち取り、94年前の先輩の悔しさも合わせて晴らした。歴史をつなぐ勝利を呼んだのはサイド右腕・松井。29年の選抜で敗れた広陵との4元号勝利達成校同士の激闘を制し、15年ぶりのベスト8進出だ。

 「あの経験があったからこそ成長できた」

 悔し涙に暮れてから148日。成長した姿を同じ聖地で示した。選抜でも仙台育英との初戦は延長タイブレークに突入。10回にマウンドに立っていたのが、他ならぬ松井だった。結末はプロ注目の山田脩也(3年)にサヨナラ打を浴びて初戦敗退。思わず天を仰いで、その場からしばらく動けなかった。

 勝負の夏は「慶応投手陣でのオンリーワンになりたかった」とサイドスロー転向を決意した。春に背負った「1」から背番号は「11」へ変更。立場は変わったが「番号に執着せず、自分の役割を全うした」と神奈川大会から先発、抑えでフル回転してきた。

 雪辱を果たす時は3回戦でやってきた。春と同じ延長10回タイブレークは、先に3点の援護をもらった。「自信のある球で押していくだけ」。2死満塁のピンチを背負ったが、迷いはない。「直球勝負と決めていた」。春はスライダーを打たれ、サヨナラ負け。悔いを残さないため、1番・田上夏衣(かい=3年)に対し、直球勝負を挑んだ。カウント2―2から、この回3個目の三振を奪いガッツポーズ。森林貴彦監督も「苦しい場面の経験が今日に生きた」と成長に目を細めた。

 昭和4年だった1929年は前身の慶応商工の名で東京代表として出場していた。歴史の教科書に登場する世界恐慌があったのは同年。昭和から令和へ時代は変わったが、胸に刻まれた「KEIO」は当時のままだ。

 親指から中指までの3本を掲げる慶応流の「No・1ポーズ」=写真。安打した際や、マウンド上で集まる際のルーティンは、尊敬する慶大の学生コーチの数の数え方をまねたものだ。松井は力を込める。「優勝して、マウンド上でこのポーズをしたい。まだ春の借りを返す途中だと思っている」。初出場で初優勝したのが1916年。107年ぶりの日本一まであと3勝だ。(村井 樹)

 ▽慶応 慶応普通部として1916年の第2回全国中等学校野球大会に初出場し優勝した。47年の選抜には、ともに前身にあたる慶応普通部と慶応商工がそれぞれ出場した(出場回数は合わせて1回)。48年に慶応を開設し、新制高校の野球部として再出発。49年までは東京代表として出場したが、50年に神奈川高野連に加盟。以降は神奈川代表として出場している。春夏通算29度の出場で優勝1度、準優勝1度。

 ◇松井 喜一(まつい・きいち)2005年(平17)7月28日生まれ、東京都出身の18歳。小4から野球を始め、ポジションは投手と三塁。駒沢中から慶応へ進み、2年夏からベンチ入り。今春選抜は背番号1をつけた。最速140キロ。50メートル走6秒7、遠投90メートル。1メートル80、80キロ。右投げ右打ち。

 ≪4元号勝利校初対決≫大正、昭和、平成、令和の4元号勝利校が、達成校として対決するのは今回が初。松商学園、高松商、広陵、広島商に次いで、北海と慶応が今大会で達成した。慶応は大正8勝、昭和6勝、平成6勝、令和2勝の通算22勝。

 神奈川県勢と広島県勢の対決は春夏通算で神奈川県勢の9勝4敗となった。夏の大会は神奈川県勢の5連勝。

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