【1965年センバツ 鈴木・平松世代】“最後の300勝投手”高校唯一の被弾 201勝右腕が涙の激投V

2024年03月12日 18:00

野球

【1965年センバツ 鈴木・平松世代】“最後の300勝投手”高校唯一の被弾 201勝右腕が涙の激投V
第37回選抜高校野球大会決勝。<岡山東商・市和商>優勝インタビューで感激の涙を流す岡山東商・平松 Photo By スポニチ
 第96回選抜高等学校野球大会(センバツ)は3月18日に開幕する。今大会は一般選考29校、21世紀枠2校、神宮大会枠1校の計32校が選考され、13日間の熱闘を繰り広げる。早春のセンバツは世代を代表するスター選手たちが最上級生で迎える大舞台でもある。「〇〇世代」として春の甲子園を沸かせた選手たちの特集。第1回は1965年の「鈴木・平松世代」。(構成 浅古正則)※敬称略
 ■鈴木啓示(育英=兵庫)

 NPB“最後の300勝投手”(317勝)鈴木が全国大会デビューしたのが65年春。「大会No・1投手」「1億円左腕」と称され育英は優勝校候補の筆頭といわれた。前年秋の近畿大会。初戦の2回戦で京都の大谷を完封してベスト4。翌日に1日で行われる準決勝と決勝の2試合で先発した。準決勝は市立和歌山商(現市立和歌山)を8回までパーフェクトという内容で1安打完封。プロ注目の藤田平を3打数無安打と抑え込んだ。向陽(和歌山)との決勝では延長17回、3―2でサヨナラ勝ち。1日で26イニングを投げ抜き聖地への切符を手にした。

 迎えた甲子園初戦(2回戦)。相手は古豪・徳島商。初回に1点を先行したが、3回に同点とされてしまう。6回、4番の安友にまさかの1発を食らう。7回にも1点を失い3失点。超高校級左腕の甲子園はあっという間に終わった。「忘れもしない。高校生活で最初で最後の本塁打を、全国中継されている中でかっ飛ばされた。実は大会前に練習でボールを踏んづけ、左足首を捻挫していた。それが原因かもしれないけれど、原因とは言いたくなかった」(鈴木氏)。夏は兵庫大会決勝で後に阪神、阪急でプロ通算72勝を挙げる報徳学園・谷村智啓と投げ合い9回、0―1でサヨナラ負けした。65年秋、近鉄ドラフト2位。

 ■平松政次(岡山東商)

 大会を制したのは後の200勝投手(201勝)、平松擁する岡山東商。1回戦、平松はコザ(沖縄)相手に3安打完封勝利。2回戦東都の強豪・明治(現明大明治=東京)相手に9回、歓喜のサヨナラ勝ちで8強に進出した。準々決勝の静岡戦でもわずか3安打。3試合連続完封で4強をつかんだ。準決勝でも徳島商を5安打完封。選抜史上4試合連続完封は4人目の快挙だ。決勝の相手は市和歌山商。3番・遊撃には後に阪神でプロ通算2064安打を放つ藤田平がいた。岡山東商は3回に1点を先行したが、4回、平松が9番打者・土津田に適時打を浴び大会初失点、同点とされる。1―1のまま延長へ。10安打を浴びながらマウンドを死守する平松に歓喜の瞬間が訪れたのは13回。1死二塁から、2回戦明治戦でサヨナラ打を放っている中島が中前打。サヨナラ勝ちで紫紺の大旗をつかんだ。「優勝できるなんて夢にも思わなかった」平松が6万大観衆の前で号泣した。夏は岡山大会準決勝で松岡弘(67年サンケイ=現ヤクルト=5位)擁する倉敷商に再試合の末勝ち、東中国大会決勝では関西のライバル森安敏明(65年東映=現日本ハム=1位)に投げ勝って甲子園切符をつかんだ。春夏連覇を目指したが、1回戦で降雨ノーゲームの末の再試合で日大二(東京)に敗退した。日本石油を経て66年第2次ドラフト大洋(現DeNA)2位。

 ■藤田平(市和歌山商)

 決勝で平松に敗れた藤田だが、大会屈指のスラッガーの名に違わぬ活躍をした。初戦の小倉(福岡)戦では安田猛(71年ヤクルト6位=72年最優秀防御率、新人王)相手に4打数1安打に終わったものの、2回戦の中京商(現中京大中京)戦では快挙を演じた。4回の第2打席、打球は右中間最深部へ。俊足を飛ばしてまさかのランニングホームラン。8回には右翼ポール際へ会心のアーチ。37回を数えるセンバツで1試合2本塁打は史上初の記録となった。準々決勝、農大二戦では5打数2安打。準決勝、高松商(香川)戦では決勝の二塁打を含む5打数2安打。平松との決勝でも6打数2安打。5試合で24打数10安打、打率・417。驚異的な数字を残して未来の安打製造機が甲子園を去った。夏は和歌山大会準々決勝で南部に敗退した。同年秋、阪神2位。

 ■福島久、得津高宏(PL学園=大阪)

 70年代後半から80年代後半まで黄金時代を築くPL学園だが、この年は3度目のセンバツ出場。4番は後に大洋で活躍する捕手・福島久(後に久晃)、5番にはロッテで主軸を打った得津がいた。初戦(2回戦)で荏原(現日体大荏原=東京)と対戦。15安打で快勝するも福島は3打数無安打。得津は5打数1安打に終わる。準々決勝の高松商戦では福島が適時三塁打を放つなど気を吐いたが敗戦。出場はしていないが、ベンチには後にプロ通算2055安打、首位打者2回、打点王3回の加藤秀司(68年阪急=現オリックス=2位)がいた。福島は大昭和製紙を経て66年大洋ドラフト外。得津はクラレ岡山を経て66年第1次ドラフト東京・ロッテ6位。


 【65年センバツに届かなかった“鈴木・平松世代”主な選手(秋季大会成績)】若松勉(北海=北海道大会決勝敗退)、堀内恒夫(甲府商=関東大会決勝敗退)松岡弘(倉敷商=岡山県大会準決勝敗退)、門田博光(天理=奈良県大会決勝リーグ敗退)、佐藤道郎(日大三=東京都大会1回戦敗退)、大矢明彦(早実=東京都大会準決勝敗退)、江本孟紀(高知商=四国大会優勝→センバツ決定も3月部員不祥事で出場辞退)谷沢健一(習志野=千葉県大会準々決勝敗退)、福本豊(大鉄=大阪大会敗退→夏初出場)

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