平野レミ 亡き夫・和田誠さんと意気投合した1冊の画集「私と和田さんのキューピッド。ありがとうね」
2024年02月13日 19:15
芸能
しかし、当時は「楽しくなかったね」という。「シャンソンを歌わせてくれないから。もてはやされちゃうみたいな感じになっていくのが嫌だったね。どんどん方向が違っていくみたいで、私はこっちの世界じゃない。こっち!って。そういう気持ちでいたから」。歌手として成功したい気持ちがあっただけに、複雑な思いをのぞかせた。
そんなある日、出会ったのが和田さんだった。平野の明るく奔放なところにひと目惚れしたという。家に招かれると、意気投合することがあった。「私が和田さん家初めて行ったでしょう?天井の方に…“あれ何ですか?”って言ったら…これから始まっちゃったのよ」。平野は和田の家に置いてあった、大きな本が気になったという。
それは、「血の晩餐」という、江戸末期の浮世絵師の画集。中を開くと、浮世絵師の血にまみれた絵画が多数、紹介されていたという。実は平野、文学者だった父の威馬雄(いまお)さん譲りのホラー好き。「(和田が)幽霊の話、いっぱいしてくれるの。これですっかり盛り上がった」と振り返り、「私と和田さんのキューピッド。ありがとうね。これは私の宝物」と、画集の存在に感謝した。
2人は出会いからわずか10日ほどで結婚。平野のおっちょこちょいぶりも、和田さんが深い愛で包んでくれたという。ある時、和田さんが表紙画を担当していた週刊誌に、芽が出たたまねぎの絵が。「私が台所で芽が出ちゃった玉ねぎとかさ、さつまいもとかをほっぽらかしておくと、貸してって、“家から持って来た”って。私がだらしない女房みたいで恥ずかしいけど、みんな描かれちゃうのね」。さらに「捨てようと思ってたのに、律儀に返してくれるの」と笑わせた。
父も愛娘の幸せを大いに喜んでくれたという。残した日記には「未来の心配がなくなったことだけでもうれしい」と、愛情を感じることがつづられていた。
父は86年に、和田さんは19年に死去した。大きな愛で育んでくれた人たちとの別れに、平野は「はははは、会いたいな。みんなに会いたいな。お父さんにもお母さんにも、和田さんにも会いたい。みんなに会いたいな」と、涙ながらに叶わぬ思いを口にした。