太田光 実は目標にしていた昭和の名コメディアン「ぱーっと出てきて、その場を明るくして…」
2024年06月11日 16:37
芸能
![太田光 実は目標にしていた昭和の名コメディアン「ぱーっと出てきて、その場を明るくして…」](/entertainment/news/2024/06/11/jpeg/20240611s00041000324000p_view.webp)
さらに「“(話が)着地していない”というのは、その通り。ちゃんと結論づけてないじゃないかと言われるけど。それは短い時間でちゃんと簡潔に要点だけ話しなさいって、みんなに言われるんだけど、それ無理」と笑った。
パーソナリティーの「パンサー」向井慧から「無理ってなって、その仕事をしないっていう選択肢もあるじゃないですか?」と問われると、太田は「その選択肢はないんですよ。僕には選択権がないんで、仕事を選ぶ…」と、妻で所属事務所の太田光代社長の存在をちらつかせ、笑わせた。
かつて政治バラエティー番組「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」に出演するなど、政治にも切り込むスタイルを続ける太田。「あの時、迷ってたんだけど、芸人として政治語るのってどうなんだって、かっこ悪さもあるじゃない?俺、どっちかというとスマートな芸人になりたかった」と打ち明けた。
意外な名前も飛び出した。「俺の目標、植木(等)さんだったから。植木さんのように、ぱーっと出てきて、その場を明るくして、ばっとその場を去るというさ。あれが一番、芸人としてはスマートなんだよ」。笑いと音楽で昭和の芸能史を彩った「クレイジーキャッツ」の故・植木等さんへの敬意を示した。
過激な発言で騒動になったことも多々ある。「政治家と侃々諤々(かんかんがくがく)やって、あの時はSNSはなかったけど、2ちゃんねるとか始まったころかな。炎上して、右翼が来たり何だりしたわけだよ」と振り返り、「その時に社長が“何であんなこと言うの?”って言うんだけど、“あんたが決めたんじゃないか?”って、チラっと思ってます」と笑っていた。