稲川素子さん死去 亡くなる1週間前から愛娘に感謝の言葉 棺には大好きだった「ピンク」のバラ

2024年06月11日 19:33

芸能

稲川素子さん死去 亡くなる1週間前から愛娘に感謝の言葉 棺には大好きだった「ピンク」のバラ
稲川素子さん(2007年撮影) Photo By スポニチ
 芸能プロモーターで芸能プロダクション「稲川素子事務所」社長の稲川素子(いながわ・もとこ)さんが、心不全のため5月13日に死去した。一人娘でピアニストの佳奈子さんが11日、スポニチ本紙の取材に明かした。90歳。福岡県出身。
 体調に不安を抱えながらも、最後までアクティブに働き続けた90年の人生だった。佳奈子さんによると、稲川さんは今年2月、心臓に違和感を覚えてことから、年齢も考えて検査入院した。2月末に退院した後は、足腰が弱くなったものの、仕事を最後までまっとう。佳奈子さんは「ますます夢見る少女のようになった」と、稲川さんの死去直前の変化を振り返った。

 回復を目指した稲川さんだったが、徐々に体調を崩し、亡くなる1週間前ごろから佳奈子さんに「お世話してくれてありがとう」と感謝を口にするようになっていたという。佳奈子さんやその夫らに看取られ、穏やかに眠るように息を引き取った。

 葬儀は遺族の意向で、近親者のみで営まれた。ピンクが好きで、テレビ出演の際には、よくピンクの衣装を着ていた稲川さん。棺にはかわいらしいピンクのバラがたくさん収められた。

 稲川さんは高校卒業後、慶大に進んだが、盲腸手術の際の麻酔が原因で右半身のまひに見舞われ、中退。その後、結婚、出産を経て、得意の語学力を生かして1985年、外国人タレント事務所「稲川素子事務所」を設立した。

 公式サイトでは「世界142カ国5200人の外国人タレントを紹介します」と銘打っており、ルビー・モレノやセイン・カミュ、ゾマホン、フィフィら、多数の外国人タレントを芸能界に輩出。外国人タレントのプロモーターの草分けとして活躍した。50歳を過ぎてから起業というアクティブさもさることながら、大学に再入学して卒業。さらに東大大学院にも通い、博士号を取得するなど、年齢に関係なく学び続けた人生だった。

 自身もタレントとしてたびたびバラエティー番組などに出演。穏やかな語り口と、朗らかな笑顔で人気だった。NPO法人「国連UNHCR協会」の理事を務めるなど、多くの国際貢献でも知られた。

 稲川さんが館長を務めていた「河口湖音楽と森の美術館」はこの日、公式サイトで稲川さんの追悼コンサートの開催も予定されていることを明かした。

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