岡村隆史 五輪メダリストと同じ体操教室に通っていたと明かす 同い年で「大ちゃんって呼んでたし」
2024年08月02日 18:04
芸能
![岡村隆史 五輪メダリストと同じ体操教室に通っていたと明かす 同い年で「大ちゃんって呼んでたし」](/entertainment/news/2024/07/25/jpeg/20240725s10041000224000p_view.webp)
岡村は「僕、内村さんには現役の時とかに、“僕、実はソウル五輪代表の西川(大輔)さんと同じ体操センターで体操やってたんです”みたいなことは言ったかも分からないんですけど、スペックっていう、自分が習ってた体操センターの名前を言ったことがなかったんですよ」と話し、今回話してみたところ「やっぱたぶんね知ってはったんですよ、スペックっていうのを。“だからあんなに動けるんだ”って言ってもらえたことが凄くうれしくて」と喜んだ。
ソウル五輪(1988年)、バルセロナ五輪(1992年)の体操男子団体総合で銅メダルを獲得した西川氏を輩出した体操教室には幼稚園から小学4年生まで通ったと言い、「夏になると1週間か2週間だけ水泳教室に変わるんですよ」などと話した。清風中に進学した西川氏については「ほんまは東淀中学に行く予定やった。だからもう俺も西川大輔のこと大ちゃんって呼んでたし、うちの母親とかも仲良かったから、同じ中学行くねんなと思てたら全然。清風中学にバンって行って、そっからあっという間に」成長していったと振り返った。
「で、スペックでも俺がタカクラスっていう、タカクラスがトップのなの、子供の中では」と説明。「で、その上に実は大人の人もいるわけ、例えば高校生とか社会人とか。その人らはフェニックスっていうクラスがあるねん、もう西川大輔くんなんかはもう小学校でフェニックスって大人に混じって。小学生で高鉄棒やってたんですよ。大車輪を小学生でやってたんです」と回顧した。
「それが悔しくてもう、同じ年やのに」と岡村。西川氏は小学2、3年で「プロテクターを着けて、大車輪をグワーってやって。高鉄棒からのダブル宙返り」をやっていたとした。自身も「1回だけフェニックスクラス行かしてもらったことがあるねん。1日だけ。でも俺は振り子。鉄棒の振り子、足開いてまうから、足の間に雑巾挟まされて。ずっと端っこで振り子だけして」と苦笑した。
「ただでも運動会とかなったときに、隣の小学校やったけど、豊新小学校やったけど、(西川氏の出身校)豊里小学校の運動会とかなったら、鉄棒とかにバーッて座って見てんねんけど運動会を。そしたら西川大輔くんとか急にグワーンって回り出したりするわけ、鉄棒で。そしたらみんな運動会見んとこっちばっか見だすわけ」とのエピソードも披露。「かなわない、全然」と凄さを語った。
「普通に蹴上がりとかもできてたもんね。当たり前やけど。俺何回やってもできひんかった」とも話し、「あれをまずできひんかったら高鉄棒なんてできひん」「いとも簡単に、西川大輔くんはのぼってました」と証言した。