神戸製鋼の連覇がスタート V3、あの三洋電機との決勝戦は――

2024年01月28日 19:05

ラグビー

神戸製鋼の連覇がスタート V3、あの三洋電機との決勝戦は――
ラグビーレジェンド対談 Photo By スポニチ
 元ラグビー日本代表の大八木淳史氏(62)がゲストを招いてトークする「レジェンド対談」。第3弾は大八木氏の元同僚で、神戸製鋼ラグビー部(現コベルコ神戸スティーラーズ)のスタンドオフ、スクラムハーフとして活躍し、7連覇に導いた藪木宏之氏(57)です。第3回は「最強伝説 神戸製鋼は、なぜV8出来なかったのか――」(対談映像はYouTube「スポニチチャンネル」で配信中です) 【対談動画はこちらから
 大八木氏(以下大八木) V2はすっと行ったんやね。

 藪木氏(以下藪木)
 V2は盤石でしたね。強かったですね。社会人の決勝はサントリーでした。日本選手権は早稲田です。清宮くんがキャプテンです。

 大八木 問題はV3やね。

 藪木 まあ、大変だったですね。

大八木 おれも捻挫して、足がちぎれそうやったもん。
 思い出したんやけど、オレがデザインした黒のジャージーやったやろ。三洋電機の赤と神戸の赤がバッティングするということで。本来、神戸のセカンドは青なんやけど黒にしたんや。そうしたら三洋はグレーやったんや。なんとも言えないグレーで。芝生も冬やから手入れも悪くて、モノクロ写真みたいな感じやった。
 最後、イアンだけがめちゃくちゃ速かって、ナモアのタックルも届かなかった。

 藪木 平尾さんのキャプテン、大八木さんのバイスキャプテンが最後の年です。

 大八木 ロスタイムがめちゃ長かったんよな。あとから映像見たら(三洋電機監督の)宮地さんが「もう終わりやろ、もう終わりやろ」と立って言ってるやろ。

 藪木 ただ、最後の攻撃が始まったのが41分くらいなんですよ。そこから連続で切れていないんですよね。ゴールキックを蹴って終わったのが44分だったので、皆さんが長いとおっしゃるんですけど、攻撃の始まりは41分くらいだったので、そんなに長くないんですよね。

 大八木 三洋電機も必死のパッチやったもんな。

 藪木 あのときの三洋電機は強かったですね。

 大八木 フォワードもやられっぱなしやったもんな。ハイパント蹴って、昔のラグビーやってきたもん。ほんま、勝って良かった。

 藪木 日本選手権は明治とですね。イアン・ウィリアムスと明治の吉田義人くんとの14番、11番対決で盛り上がりましたが、イアンの圧勝でしたね。

 大八木 当時、ワラビーズ(オーストラリア代表)にはデイヴィット・キャンピージが11番にいて。逆サイドのウイングはあんまり目立たなかった。それが、イアン・ウィリアムスやってんね。強かったワラビーズのね。今から思ったら亀高さんもうまいこと引っ張ってきたよな。イアンがいなかったら勝ってないもんね。V3はなかったもん。

 藪木 V3を達成して平尾さん、大八木さんはリーダーから降りて、大西一平がキャプテン、イアン・ウィリアムスが副キャプテンになりました。

 大八木 V4はどうやったっけ。

 藪木 シーズン前に大西が体調を壊したのですが、最後は出場しています。
 V4は非常に強かったです。社会人の決勝はまた三洋電機で日本選手権も明治大学です。メディアは社会人大会の決勝がまた三洋電機だったので盛り上がったのですが、神戸が強かったですね。

 大八木 V5はどんなんやったかな。オレがフランカーいかされたのはいつやったかな。V5のときやんなぁ。

 藪木 林さんとサイモン・ウェンズレーがロックで出て、武藤さんが6番で大八木さんが7番でした。大西が8番です。V5も強かったです。
 V6も同じ体制でいって、みんな年齢は重ねるんですけど、V6も弱くはなかったですね。V4、5、6と強かったですね。

 大八木 熟練工みたいになっていたんやね。
 今の日本代表と一緒やね。みんな年をとって、ギリギリまでやっていて、去年のワールドカップはみんなちょっと歳がいった感じやったんやろね。V7はうまいけど、体力が落ちてきたみたいな感じなんかな。
 いよいよV7。キャプテンは細川隆弘やね。あの時代も厳しかったよね。いろいろな意味で練習から。

 藪木 7連覇目は個人的にもいろいろ思うところがあった年なので。

 大八木 V1からV7まで、最後に出ていたのは平尾とオレと藪木やんね。

 藪木 最後にピッチに立っていたのはね。私はその年、また9番に戻れと言われて。その理由は、また平尾さんが「12」から「10」に戻るということで玉突きなんですが。私も「9」に戻って、堀越くんがライバル。堀越くんが最後はケガで私も途中出場しました。社会人大会決勝の途中で。V7の時の先発は堀越くんです。

 大八木 細川がキャプテンで、バイスキャプテンは明治の冨岡洋。

 藪木 トメ(冨岡洋)も試合に出られない。いろいろなことがありました。バックスも平尾さんはともかく、新人の「12」元木くん、「13」吉田くん、「11」増保くん、「15」細川くん、春からずっと固定だったんですよね。さっきV4、5、6は強かったという話をしましたけど、競争の原理がすごかった。それがない年でしたね。7連覇をやるための年でした。神戸製鋼が強くなる年じゃなくて、7連覇をやる年だった。

 大八木 フォワードもややこしかった。デイビット・ビックルがいて。オレも外されて。最後、細川がケガしたんやね。

 藪木 細川くんがケガをして平尾さんがキャプテン代行で苦労されていたと思います。決勝は東芝府中に勝ちました。日本選手権は大東文化に102―14で勝ちました。

 大八木 それで阪神淡路大震災やね。2日後、1月17日。あれから狂ったよね。神戸製鋼は。

 藪木 あそこから狂ったというよりは、その年から結果的に3年勝てなくなるので。

 大八木 (灘浜グラウンドは液状化で)グラウンドがなくていろいろなところで練習した。振り返ってそんなこともあったんやけど、V1からの思い出はなにかな。

 藪木 全部の年がすごく。リーダーの方たちの苦労に比べると、私たちはただレギュラーを獲るに必死だけの年が続いた。最後の全国大会前に、この年はこのメンバーになるんだと決まったときの喜びは毎年、新鮮だった。緊張感がずっとありましたね。

 大八木 フォワードなんかとくに(緊張感が)あったね。

 藪木 大八木さん、杉本さんとか冗談が好きは人たちが、クラブハウス内では和気あいあいとしているんですけど、スパイクを履いてグラウンドに出ると全然、雰囲気が変わって、みんなレギュラー争いであったり、個人のスキルを伸ばすことであったり。それぞれ自分の役割を分かっているので、グラウンドに出てから表情がひょうへんする、そんな日々が続いていましたね。

 ◇藪木 宏之(やぶき・ひろゆき)1966年(昭41)3月12日、山口県生まれの57歳。山口・大津高からラグビーを始め、明治大―神戸製鋼。神戸製鋼では日本選手権7連覇に貢献。2019年に日本で開催されたワールドカップでは日本代表のチームメディアマネジャーを務めた。現役時代のポジションはスタンドオフ、スクラムハーフ。

 ◇大八木 淳史(おおやぎ・あつし)1961年(昭36)8月15日、京都市生まれの62歳。伏見工からラグビーを始め、同志社大―神戸製鋼。同志社大時代は大学選手権3連覇、神戸製鋼時代は日本選手権7連覇に貢献。現役時代のポジションはロック。日本代表キャップ30。
  

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