今季ブレークした村上頌樹の「礎」を作った元猛虎戦士 岡田監督の「教え」を今も少年たちに伝える

2023年08月25日 05:15

野球

今季ブレークした村上頌樹の「礎」を作った元猛虎戦士 岡田監督の「教え」を今も少年たちに伝える
<猛虎の血>洲本市民球場でポーズをとる庄田隆弘さん (2022年6月22日撮影) Photo By スポニチ
 現役を退いても、タテジマ人生は続いている。阪神でその才能を開花させることができなかった庄田隆弘氏(43)が、淡路島での少年野球の指導で出会ったのが、今季大ブレークを果たした村上頌樹投手(25)。プロの生存競争の厳しさを知る庄田氏の教えが、村上の不屈の闘志の原点になった。庄田氏の初安打も村上の初勝利も、ともに岡田彰布監督(65)のもとで記録。目指す「アレ」には、多くの新旧選手の思いが詰まっている。 【庄田さんの動画はこちら(前編)  庄田さんの動画はこちら(後編)
 淡路島で見続けたテレビ中継に、岡田監督がベンチを出る姿が映し出された。全国の野球ファンを驚かせた7回パーフェクトでの村上の交代。23年4月12日、東京ドームでの巨人戦の場面を庄田氏は忘れていない。

 「なぜ代えた」「完全試合に挑戦させてほしかった」と議論が沸騰した。しかし、庄田氏の思いはそれらとは一線を画していた。島のチームで中学生だった村上と出会い、その後も右腕の成長を追い続けてきた。少年が自分と同じタテジマのユニホームを着ることにもなった。プロの生存競争の激しさは誰よりも分かっている。続投して広がる完全試合への可能性よりも、まず7回無失点という客観的事実こそが重要だった。

 「交代を告げられたときは正直安心しました。結果を出したことが彼にとっては一番。これで次がある。ローテーションにも組みこんでもらえる、と思いました。チャンスはこの1回だけかもしれなかったんですから」

 淡路島の少年野球チームでコーチを始めたのは阪神でユニホームを脱いだ翌年、11年からだった。第1印象で村上のセンスは感じていた。投球、守備、打撃、走塁、何でもできた器用な選手だった。だからこそ、元プロ選手としては「志を高く持つんや」と村上に言い続けた。淡路島で一番になって満足していては成長はない。全国には凄い選手がいっぱいいる。このくらいで…などと妥協するな、と繰り返すことで、世界の広さを伝えた。

 総決算となった中3春と夏の全国大会は、いずれも準優勝だった。全国2位、胸を張れる結果だ。だが、庄田氏はあえて決勝戦で連敗した村上を褒めることはしなかった。「勝負は思いだけじゃ勝てないんだ。それが分かっただろ」。庄田の言葉に村上はうなずいた。この敗戦が村上の原点になった。

 「思いだけでは勝てない」と言い切れるのも、庄田氏の野球人生がバックボーンにある。智弁学園(奈良)では1年時からレギュラーとなり、甲子園には2度出場。2本塁打を記録した。プロを目指して明大に進学したが、木製バットへの対応に4年間苦しんだ。社会人のシダックスで野村克也監督の指導を受け、準備の大切さ、意識の持ち方を教わった。03年のドラフト6巡目で阪神から指名された。だが、プロの壁はなお高かった。日々、一生懸命やるのは当たり前。少ないチャンスでどう勝負するか。常に戦いが続いた。

 プロ4年目、07年の交流戦で初めて1軍に上がった。6月13日の西武戦で岡田監督からチャンスを与えられた。「9番・右翼」で初出場初スタメン。初打席は3回、岸孝之(現楽天)が相手だった。フルカウントからの右前打。忘れもしない一打になった。

 「調子は悪かった。でも打席で突然、野村さんの言葉が浮かんできた。“初出場の9番に変化球を投げる奴はおらん”。迷わず真っすぐ一本に絞れた。岡田さんと野村さんが打たせてくれた初安打だった」

 その輝きは長くは続かなかった。「邪念も入って、自分の弱さが出た。守りに入ってしまった」と3年後に戦力外通告を受けた。それでも野球で多くの人と出会ったのは財産だ。師事した金本知憲氏にはジムのトレーニング、護摩修行にも同行させてもらった。高校入学時の主将だった小坂将商氏は智弁学園の監督として、村上を選抜優勝投手に育てた。庄田氏の周りで全てがつながっている。

 淡路島で少年野球を指導する日々も、阪神時代にお世話になった人たちとの関係から生まれた。近本、村上に憧れ、野球に打ち込む選手たちに「自分でつかみ取ることが大事なんや」と庄田氏は今も話している。野村、岡田、金本――レジェンドのプロ意識が、その言葉に集約されていた。 (鈴木 光)

 ◇庄田 隆弘(しょうだ・たかひろ)1979年(昭54)11月9日生まれ、奈良県桜井市出身の43歳。智弁学園では甲子園に2度出場。明大を経て、社会人シダックスで都市対抗準優勝に貢献。俊足好打の外野手として03年ドラフト6巡目で阪神に指名された。プロ4年目の07年、6月13日の西武戦で初出場初先発初打席初安打を記録。同16日のロッテ戦では清水直行からプロ初本塁打を放った。10年に戦力外通告を受けて現役を引退。背番号は64と0。引退後は淡路島で少年野球の指導にあたり、現在はヤング淡路監督。

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