八代英輝氏 桐島容疑者名乗る男死亡に「国内にいたんだ」三菱重工爆破事件は「父が隣のビルに…」
2024年01月29日 13:04
芸能
桐島容疑者は約49年間逃亡。容疑者本人であれば、長期間にわたる逃亡生活や組織の全容解明は遠のいた。国際手配が続く他の容疑者の追跡にも影響を与えそうだ。
番組では一連の爆破事件を紹介。74年8月に東京・丸の内の三菱重工業ビル玄関前に置かれた爆弾が爆発した事件では、8人が死亡し、300人以上が重軽傷を負った。八代氏は「私の父親が事件当日、この時間帯、重工ビルの隣のビルにいまして“ガラスが降ってきた”ってことで、被害を受けて同僚の人を病院に連れて行った」と事件当日、隣のビルにいたと語った。
そして「ケガ人が多すぎて、自分が治療してもらえる順番になりそうもないと家に帰ってきたんですけども、Yシャツが血で真っ赤になっていて、ガラスを浴びたってことで破片が残っていたり、小学生でしたけどすごく記憶に残ってますね」と50年前の事件でも鮮明に記憶していると振り返った。
その上で、桐島容疑者を名乗る男の死亡に「十分な供述が得られない段階で亡くなってしまったので、捜査側としては非常に残念だとは思います」とし「これで人定ができれば、一連の事件については唯一の逃亡犯でしたから、私は国内にいたんだっていうのが非常に意外な印象でした」と語った。
また、病院で本名を名乗ったことには「捜査員に対して、容疑者、真犯人でなければ知り得ない事情を話していたと。秘密の暴露があったということは、この先、積極的に犯罪について供述する意思だったのかもしれないなと。そうだったとすると、多くの方が亡くなってますし、罪の大きさに耐えられなかったところが、人生の最期にいたって良心の呵責(かしゃく)というのが自分の名前を言わせたと。そう思いたいですね」と推察した。