“横田さんの分まで”を合言葉に――阪神ナイン悲しみこらえ前に進む 甲子園で鳴尾浜で黙とう

2023年07月20日 05:15

野球

“横田さんの分まで”を合言葉に――阪神ナイン悲しみこらえ前に進む 甲子園で鳴尾浜で黙とう
横田慎太郎さんが守ったセンターの位置に集まり、黙とうをささげる阪神ナイン(撮影・北條 貴史) Photo By スポニチ
 阪神OBの横田慎太郎さん(享年28)が脳腫瘍で逝去してから一夜明けた19日、1軍は西宮市内の甲子園球場、2軍は鳴尾浜球場で全体練習を再開した。選手、球団関係者らは悲しみをこらえながら“横田の分まで”を合言葉に戦っていくことを誓い、後半戦へ準備を進めた。
 悲しみを乗り越えて、それぞれが前に進んだ一日になった。選手寮の「虎風荘」が隣接し、横田さんも過ごした時間の長かった鳴尾浜球場では半旗が掲げられて練習前には中堅のポジションで選手、球団関係者らが黙とう。涙を流す選手もおり、故人をしのんだ。

 特に16年の開幕戦では1、2番コンビを組んだ高山は沈痛な面持ちだった。「寮生活も球場の行き来も一緒でたくさん思い出がある。彼の分まで結果を出して甲子園で走り回っている姿を見せるのが横田ファンへの恩返しになる」と活躍を誓った。横田さんの教育係としてかわいがっていた北條も「夜間練習とかいっぱい思い出がある。感謝です」と目を潤ませた。

 甲子園球場でも1軍メンバーが全体練習前に同ポジションで黙とう。大腸がんを克服してプレーを続ける原口は横田さんと一緒にお立ち台に立つことを目標に掲げてきた。「凄く見習う部分もあって後輩ながら大きな存在、尊敬できる人間だった」。13年ドラフトの同期入団の岩貞は終始、うつむきながら涙を必死にこらえ「横田が今どう思っていようが、僕らは勝手に背負ってというか。特に同期の僕らはそう思いながらやっていきたい」と言葉に力を込めた。

 平田ヘッドコーチは練習前に選手たちに呼びかけた。「横田のことを胸に刻んで野球ができる喜びをかみしめながら後半戦を戦おう」。“横田の分まで”を合言葉に「アレ」を目指す。(遠藤 礼)

 横田 慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ、鹿児島県出身。鹿児島実から13年ドラフト2位で阪神入り。3年目の16年開幕戦に「2番・中堅」で1軍初出場。17年2月に脳腫瘍が判明、同年オフに育成選手となり19年限りで引退。1軍通算38試合で打率.190、本塁打なし、4打点、4盗塁。現役時は1メートル87、94キロ。左投げ左打ち。

 ▼阪神秋山 体も大きいので服とか靴をあげたりすると、あの鹿児島なまりで“また待ってます”と。黙々と練習をやって、愛されるキャラでした。

 ▼阪神板山 最後のバックホームの時、セカンドにいて投げられないと思って短めのカット(中継)に入ったんですけど、僕の頭上を越えて最高のバックホームを見せてくれた。本当に忘れられない。

 ▼阪神望月 横田さんの分とかまでは全然言えないですけど、自分は(手術した)肩が痛いからとかで諦めるのだけはしちゃいけない。

 ▼阪神浜地 真っすぐな人で、全員に優しかった。ひたむきに努力をされていた。簡単に見習うとは言えないですけど、凄い人を近くで見ることができた。

 ▼阪神嶌村球団本部長 あれだけひたむきにプレーする選手はなかなかいない。本当に野球をやりたかっただろう。残念で仕方ない。

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