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知られざる侍ジャパン井端監督の5つの流儀 いぶし銀で職人肌の印象も…意外な人物像に迫る

2023年11月04日 05:00

野球

知られざる侍ジャパン井端監督の5つの流儀 いぶし銀で職人肌の印象も…意外な人物像に迫る
模造刀を手にポーズを決める侍ジャパン・井端監督(撮影・尾崎 有希) Photo By スポニチ
 「アジアプロ野球チャンピオンシップ」(16~19日、東京ドーム)に出場する侍ジャパンは5日、直前合宿地の宮崎に集合し、6日に始動する。新監督に就任した井端弘和氏(48)は現役時代、中日で4度のリーグ優勝と1度の日本一に貢献したゴールデングラブ賞7度の名遊撃手。いぶし銀で職人肌の印象が強いが、意外な人物像に迫った。(取材・構成=神田 佑)
「一日一食生活」を送っている。食事は夜の一度だけで「太らないようにしている。朝、昼、晩で食べると運動もろくにしていないのにただ太るだけ」と体形と健康を維持。おなかがすいても朝、昼は我慢する。ドラフト下位入団からトッププレーヤーになった、まさに“ハングリー”精神は健在だ。そして「夜だけは好きなものを食べたい」と制限を解く。09年に目の異常を訴えて医者に飲酒を止められてからは、ずっとノンアルコール生活。ちなみに現役時代、試合前は「極限に(体が)軽いぐらいがいい」とバナナ1本しか食べなかった。

 料理が得意で、家族に振る舞う。レパートリーは「何でもいける」。堀越(東京)時代は一軒家にレギュラーと控え投手の10人で寮生活。1年時に料理当番を任されたのが礎だ。カレーや肉じゃがは「1年の春先にクリアした」。2年に進級してからも「後輩に一から教えて作らせたけど、決して食べられるものじゃなかった」と自身が3年間担当。後輩には「後は片付けとけよ」と任せた。手間をかけるのはコロッケで「ジャガイモをむいて、ゆでて、ほぐして、ひき肉を入れて」。外はサクサク、中はホクホクでおいしい。

 1男2女のパパで、妻は元テレビ朝日アナウンサーの(旧姓・河野)明子さん。監督就任を家族は「喜んでくれました」と言う。長男で小6の巧君はDeNAジュニアの主将で、教育方針を「今は自分で考えさせるようにしている。困った時は聞いてくるので。やみくもに教えても仕方ない」と語る。父の中日時代と同じ背番号「6」で、右の長距離砲だ。小4の長女と小2の次女とは、21年8月にEテレの教育エンターテインメント番組「おとうさんといっしょ」に出演。「下の娘は(3月の)WBCのおかげで凄く野球に興味を持った。うれしい」と喜んでいた。

 アマチュア野球観戦について「好きなのが一番(の理由)。気になる選手がいたら行く。どういう野球をしているのか見たい」と一人で甲子園、神宮、大田スタジアムに足を運んでいる。「趣味」と笑うが、高校、大学、社会人野球と守備範囲は広い。少年野球の指導にも力を入れていて、9、10月は佐賀、山梨、奈良、秋田、静岡で野球教室に参加。8月までU12の日本代表監督を2年間務め、「昔はささいなことでもイラッとしていたけど、一切怒らなくなった。穏やかになった」と人格の変化もあった。本人の希望でトップチームとU15の監督を兼務する。

 井端監督と侍ジャパンといえば「台湾戦の起死回生打」だ。13年のWBC2次ラウンド台湾戦で、負ければ敗退という2―3の9回2死から同点適時打=写真。延長戦での勝利につなげた。「よく野球を知らない人からも“あの時はよく覚えています”と言われる」と大会の名場面として取り上げられる。中日の2軍監督だった仁村徹氏の「最後のバッターになるバッターはいいバッターじゃない」という金言が胸にあり、「最後のバッターになりたくない」の一心だった。

 ◇井端 弘和(いばた・ひろかず)1975年(昭50)5月12日生まれ、神奈川県出身の48歳。堀越(東京)から亜大を経て、97年ドラフト5位で中日入団。荒木雅博との「アライバコンビ」で鉄壁の二遊間を築き、13年にWBC出場。同年オフに巨人に移籍し、15年に現役引退。通算1912安打、149盗塁、248犠打など堅実なプレーでゴールデングラブ賞7度、ベストナイン5度。巨人、侍ジャパンのコーチを歴任し、22年にU12日本代表監督に就任。右投げ右打ち。

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