立川晴の輔 林家木久扇後任で笑点新メンバーに “因縁”の立川流から55年ぶりにレギュラーの理由

2024年04月08日 05:00

芸能

立川晴の輔 林家木久扇後任で笑点新メンバーに “因縁”の立川流から55年ぶりにレギュラーの理由
立川晴の輔(手前)を紹介する林家木久扇 Photo By スポニチ
 落語家の立川晴の輔(51)が日本テレビ「笑点」(日曜後5・30)の大喜利コーナーの新メンバーとして加わり、7日の放送に登場した。落語立川流の落語家が笑点にレギュラー出演するのは、初代司会者の立川談志さんが1969年に降板して以来、55年ぶり。55年間レギュラーを務め、3月いっぱいで卒業した林家木久扇(86)の後任として、第一歩を踏み出した。
 黒の紋付き袴(はかま)姿で一礼した晴の輔を、観客は大歓声で迎えた。サプライズで登場した木久扇に連れられて登場し、促されるように座布団へ。木久扇から「笑点を明るく楽しく。木久扇ラーメンもよろしく」とエールが送られた。大喜利では立川流に存在した談志さんへの上納金システムにかけた回答で笑いを取るなど上々の出来。収録後には「なんだかずっと顔が引きつっていたと思うんですけど、気づいたら終わっていた」と初々しく感想を語った。

 晴の輔は2013年に真打ちに昇進。同年からBS日テレ「笑点 特大号」の若手大喜利コーナーで活躍してきた。笑点のレギュラー加入時の51歳という年齢は、番組史上最高齢。着物の色は未定だが「自分の理想と現実は違う」と何色でもOKの姿勢。木久扇の黄色を継ぐのか、別の色か、注目が集まる。

 立川流がレギュラー出演するのは、談志さんの降板以来、55年ぶり。回答者としては初だ。晴の輔は19年に病気療養中だった六代目三遊亭円楽さんの代役として笑点に登場。立川流として50年ぶりに出演を果たし、笑点と立川流の歴史的な雪解けの当事者となった。

 そもそも笑点は談志さんが作った番組。テレビやラジオの普及に危機感を持ち、日テレに企画を持ち込み、65年に前身番組が開始。翌66年から笑点となり、初代司会を務めた。だが、ブラックユーモアを重んじる姿勢が他のメンバーと合わずに対立。69年に桂歌丸さんら回答者5人全員が降板する騒動に発展した。結局、談志さんは衆院選立候補に伴い、同年11月に番組を去った。

 その後、83年に落語協会に反発した談志さんが弟子とともに協会を脱会。落語立川流を立ち上げ、落語界で独自の立場を取ってきた。今回の起用についてテレビ関係者は「10年間若手大喜利で地道にやってきたことが評価されたのではないでしょうか。実直な人柄も19年の雪解けに貢献し、今回の抜てきにつながったと思います」と分析した。

 晴の輔は「これから自分なりの個性を出してやっていければと思います」と意気込んだ。明るいキャラクターで新風を吹かせる。

 ◇立川 晴の輔(たてかわ・はれのすけ)本名・檀上晃一(だんじょう・こういち)。1972年(昭47)11月21日生まれ、神戸市出身の51歳。東農大卒業後、97年に志の輔に入門し、志の吉を名乗る。13年に真打ちに昇進し、晴の輔に改名。趣味はロックバンド「BOφWY」を聴くこと。特技はどこでも寝られること。

 ▼落語立川流 七代目立川談志さんが1983年に設立。同年に落語協会が行った真打ち昇進試験の結果と考査基準に談志さんが異を唱え、大半の弟子を連れて同協会を脱退し創設した。こうした経緯から、立川流は落語の定席(寄席の通常興行)に出演できない。談志さんに弟子入りしたビートたけしも入門しており、「立川錦之助」の高座名もある。公式サイトによると現在、60人ほどの落語家が所属。

 ≪江戸4団体そろう≫江戸落語界には、落語協会、落語芸術協会、落語立川流(立川流)、五代目円楽一門会(円楽党)の4団体がある。晴の輔の加入で、60年近い番組史上初めて回答者に江戸落語界全4団体の落語家がそろった。

この記事のフォト

おすすめテーマ

2024年04月08日のニュース

特集

芸能のランキング

【楽天】オススメアイテム