太田光 山藤章二さんからの忘れられない一言「こんな難しい勝負をしてきた人がそれを…」

2024年10月02日 15:29

芸能

太田光 山藤章二さんからの忘れられない一言「こんな難しい勝負をしてきた人がそれを…」
「爆笑問題」太田光 Photo By 提供写真
 お笑いコンビ「爆笑問題」太田光(59)が、1日深夜放送のTBSラジオ「JUNK 爆笑問題カーボーイ」(火曜深夜1・00)に出演し、9月30日に老衰のため87歳で死去したイラストレーターの山藤章二さんとの思い出を語った。
 山藤さんは、漫画と文章で政治や社会を風刺した「山藤章二のブラック・アングル」を、週刊朝日で45年にわたり連載。巻末にイラストが掲載されていたことから、「週刊朝日を後ろから開かせる男」と呼ばれた。

 そんな山藤さんとコンビは、切っても切れない関係にあったという。太田は、相方・田中裕二に語りかけるように、「昨日さ、山藤先生が亡くなったじゃない?山藤先生とも会っていなかったし。山藤先生といえば天下の『(山藤章二の)ブラック・アングル』って、週刊朝日で。要は風刺画の第一人者で、山藤さんの後に山藤さんはないんだから。あの人だけなんだから。日本で」と、山藤さんの功績を紹介した。

 山藤さんと初めて会ったのは、新人時代に出演した東京・紀伊國屋ホールの寄席の打ち上げだったという。その後、所属事務所を独立する際の不義理が原因で、コンビは仕事がなくなる事態に。復活を模索していたころ、挑戦したNHK新人演芸大賞の審査員長が、山藤さんだったという。太田は「復活した時、最初のきっかけがNHKの新人演芸大賞。これが審査員長が山藤さんだった。小松(政夫)さんも審査員でいて、同時にやっていた『GAHAHAキング(爆笑王決定戦)』の10週勝ち抜きの審査員長が、高田(文夫)先生。またこの2人なんだよね。恩人なんだよ、俺らにとっては」と話した。

 NHK新人演芸大賞は、落語やお笑いの若手の登龍門と言われる賞レース。爆問が出場した93年当時は、落語家が受賞する流れだったが、それを変えたのが山藤さんだったという。太田は「山藤さんにも“ちょっとまだ早いかもね”とか言われた記憶があるけど、新人演芸大賞の時は山藤さんが審査委員長で。別室の審査の時に、“今までの歴史とかそういうことを言ってる場合じゃない。爆笑問題がダントツでおもしろかった。爆笑問題にしよう”って、強引に言ってくれた。小松の親分から“あんたはエライ!”って、“ヒョウショウジョウ!”って賞状をもらって」。この受賞で勢いに乗った爆問は、同時に挑戦していた「GAHAHAキング」でも10週勝ち抜き。見事な復活劇だった。

 太田は後年、「ブラック・アングル」が書籍化された際、あとがきを頼まれた時があり、書いた内容を明かした。「ブラック・アングルを見ていると、年の終わりにはキャスターが“今年は暗いニュースばかりでした”と言うけど、山藤さんのブラック・アングルを見ていると、楽しいニュースばかりに思えてくる。これは何かというと、どんなにつらいことでも、笑いにしていいんだと」。また「“先生は困るかもしれないけど、俺は山藤さんの影響で、これからも不謹慎な漫才をするかもしれないけど、誰かに何でそんな不謹慎な漫才をしたんだと聞かれたら、山藤先生にやれと言われましたと答えるから、よろしくお願いします”って書いてあった」とも明かした。時事問題を恐れ知らずに切って行くスタイルは、実は山藤さんの風刺画が原点だったと明かした。

 コンビのラジオ番組に山藤さんがゲスト出演した際、初対面した時のネタの感想を聞いたという。「“一番難しいところを攻めてくるコンビが出て来たなって、僕は思った”って言ってくれた」と明かし、「俺はその時に、こんなに難しい勝負をしてきた人が、それを言ってくれたことを、本当に光栄…です!って感じで」と、再び感激の言葉を口にしていた。

おすすめテーマ

芸能の2024年10月02日のニュース

特集

芸能のランキング

【楽天】オススメアイテム