小澤征爾さん死去 世界中が追悼 NYタイムズ“東アジアの音楽家の先駆者”

2024年02月10日 04:30

芸能

小澤征爾さん死去 世界中が追悼 NYタイムズ“東アジアの音楽家の先駆者”
03年、ウィーン国立歌劇場で開かれた「オペラ座舞踏会」の開会セレモニーにホストの一人として登場した小澤征爾さん Photo By 共同
 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は小澤さんの死去を速報し「東アジアのクラシック音楽家に対する偏見の払拭に貢献した」と功績を称賛した。小澤さんが欧米で活躍する東アジアの音楽家の先駆者だったと紹介。アジア人は技術的に優れていてもクラシック音楽の本質を理解することはできないと考えられていたと説明。現在、日本に限らず東アジアから世界に羽ばたく音楽家が輩出されているが、小澤さんがその扉を開いたと伝えた。
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は「現代における偉大な指揮者の一人」と追悼。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は「心からの哀悼の意を表します」と日本語で投稿した。小澤さんが若手音楽家のために05年にスイスで開校した音楽塾「小澤征爾スイス国際アカデミー」は「深い悲しみを感じる」などの声明を発表した。

 ≪IOCも「ありがとう」≫国際オリンピック委員会(IOC)はSNSで長野冬季五輪の開会式の映像とともに「長野1998オリンピックでは音楽アドバイザーを務めた小澤征爾さん。開会式では世界を中継で結んで行われた歓喜の歌の演奏を指揮しました」と功績を紹介。「今まで素晴らしい音楽の数々を、本当にありがとうございました」と追悼した。

 ≪確執あったN響「敬意と感謝を」≫人との間に壁をつくらない性格と、リズムに乗って、体ごと跳びはねるという日本人離れした指揮のスタイルだった小澤さん。日本のオーケストラの体質と合わず、20代の時にNHK交響楽団(N響)から指揮を拒否される「N響事件」も起きた。ただ、この日、N響はSNSで「小澤さんの類いまれなる芸術的成果と世界の音楽界への貢献に対し、敬意と感謝を申し上げます」と追悼した。

 ≪岸田首相がSNSで「レジェンドだった」≫岸田文雄首相はSNSに投稿。「世界に志を持ち、国境を越えて大きな感動を巻き起こした偉大な指揮者であり、日本が誇るレジェンドだった」と悼んだ。これにネット上では「国民栄誉賞に値するのでは」などの声が上がった。

 ▼安藤忠雄氏(建築家)いつ会っても自由で心優しく、大きな方だった。2人で「僕らは天から元気と自由をもらったんやから、世の中に返していかなあかん」と話したことがある。ただ僕は音楽は分からん。小澤征爾さんは「建築は分からん」と言った。でも「人の心に残るものを、つくっていこう」と誓い合った。小澤さんとの会話は、子供のための図書館を造るなど、僕のその後の活動に大きな影響を与えてくれた。惜しい人を亡くしました。

 ▼黒柳徹子 残念!小澤さんは世界的な指揮者でした。私の父がバイオリニストで、一緒に弦楽四重奏をやってたチェロの斎藤秀雄さんが小澤さんの先生でした。小澤さんは斎藤さんが怖くて、今も桐朋の先生のお部屋に入ると、震えると言ってらっしゃいました。子煩悩で、息子のゆきちゃんが俳優になると言ったとき、私の楽屋までわざわざいらして「息子が俳優になると言ってるけど、どうしたもんだろう」とおっしゃってました。私は「大丈夫でしょう」と言いました。俳優になってすぐ映画に出たときは、小澤さんも一緒に試写室でその映画を見たように思います。小澤さんの情熱は、日本の音楽を熱くしたと思います。亡くなったこと、本当に悲しく、残念です。

 ▼佐渡裕氏(指揮者)子供の頃から憧れていて、先生がいなければ指揮者は目指さなかった。私が指揮者になってから幸運にもお会いすることができ、いろいろな話をしてくださった。小澤さんはテクニックが優れているだけでなく、凄く楽譜を読んで勉強もされていた。何より重要な功績は後進の指導に全力で向かわれたこと。幅広い世代に、体力と時間が許す限り全身全霊で音楽の素晴らしさを伝えてきた。

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