堺正章 舞台で息を引き取った喜劇俳優の父・駿二さんに芸能界入り反対されていた 「この世界は…」
2024年03月12日 15:30
芸能
堺は「僕はもうスパイダースに入っておりまして、その日、舞台の前に“舞台は辞めた方がいいんじゃないか”と父親に言ったんですが」と打ち明けた。
黒柳が「どこか悪かったの」と尋ねると、「その舞台で何日か前にお尻を打ちまして。内出血が物凄く広がってて。こういう状態で舞台踏むのは大変だから、“代役を立ててもらったらどうなんですか?”と言ったら、“いや、最後までやらないわけにはいかないから、何とかごまかしながらでもやりたい”って言うのがちょっと無理してたたったと言いますか。それでまあその公演の最中の舞台の袖で、まあ息を引き取ったと」と振り返った。
「役者は舞台の上で死にたいっていうことはありますが、本当にそれを父親が実践して」としみじみと話した。
黒柳が一番の思い出を尋ねると、堺は「やっぱり芸能界に僕も行きたいっていう話をした時に、反対された。それまでは1回も僕にはダメだという言葉を使ったことがなかったんですが、その時には“この世界はしないでいい苦労をするよ”と」と回顧。
「“だから違う世界に行った方が現実に”という意味でしょうね。“行った方がいいんではないのかな”ってういうような思いで、父親もこの芸能界で相当苦労を重ねてきましたから、同じような苦労を味合わさせたくないっていう気持ちがあったんだろと思います」と続けた。
「その時に初めて“ダメです”というふうに言われたのを一番僕の中では印象として残ってます」と堺。どうやって反対を押し切ったかと聞かれると、「いや、これはね、そうは言えどもこの子はやりたいんだと。父親の同僚たち、役者さんたち、その当時、清川虹子さんとか、そういう方たちに相談をしたら、“息子がやりたい道を父親が閉ざして、わき道に逸れたらどうすんだ”と。“やりたいことをやっぱりやらしてやるべきじゃないか”というふうな意見が多数を占めていたということで、父親もちょっと心を入れ替えて、“じゃあもうこの世界で頑張ってみなさい”というふうに最後は言ってくれました」と明かした。
「その代わり“途中でやめんなよ”ってこれが。もう、捨て台詞みたいに。“覚えてろよ”みたいなもんで。“途中でやめるなよ”って言うことをずっと言われてきょうまで生きてきてる」と笑顔で話した。