「海猿」原作者が明かす、フジテレビとの絶縁の経緯 出版社とテレビ局は「映像化で一儲け」で利害一致
2024年02月02日 18:18
芸能
佐藤氏はnoteで「とても悲しいです」と芦原さんを悼み、「漫画を原作とした映像化のトラブルということで、僕の名前を思い出す人も多かったようです」と自身のトラブルを取り上げたニュースを引用。そして「ここ数日、当時の出来事がフラッシュバックしています。どうして漫画の映像化でトラブルが頻発するのでしょうか」と当時の経緯を振り返り始めた。
「海猿」は映像化へ向けて多くの企画書が届き、「詳しい話は聞かされず、ある日映画化が決まっていました」と佐藤氏。漫画家と出版社は「著作権管理委託契約」を結び、出版社が作品の運用を決める。契約書には「都度都度、漫画家に報告し許諾を取る」と書かれていたが、それは守られず「すでに企画が進んでいることを理由に、映像化の契約書に判を押すことを要求されました」。佐藤氏は「嫌だった」が映像化=名誉なことだと固定観念があったために了承。「原作使用料は確か200万円弱」だったという。
映像関係者に会えず、脚本も見たことがない状況に「作品が自分の手から奪われていく感覚がありました」。それでも「『漫画と映像は全くの別物である』と考えました。そうしないと心が壊れてしまいます」と当時の苦しい心境を振り返った。
完成した映画は「僕が漫画で描きたかったこととはまったく違いました」と納得いかない出来だったが、自分を押し殺し不満を口にすることはなかった。一方で出版社への不信は募っていく。佐藤氏は出版社とテレビ局は「映像化で一儲けしたい」という利害が一致しているとし、両者が原作者を蚊帳の外に置いて企画の成功のために動く様子を生々しくつづった。
そして2006年に映画第2弾が公開された頃には「『海猿』の原作者」を名乗る人物が現れる事態に。映画は2012年の第4弾まで作られてヒットしたが「もう無理だな」と限界に達し、次の契約更新にはNOを突き付けたという。
自身の経験を振り返りつつ「作家のためを思って働いてくれる編集者もいるでしょう。誠実なテレビマンもいるはずです。不幸なケースもあれば、幸せなケースもあると思います」と佐藤氏。最後に芦原さんについて「『繊細な人だったんだろうな』という感想をいくつか見かけました。多分、普通の人だったんじゃないかと想像します。普通の人が傷つくように傷つき、悩んだのだと思います」と思いやり、文章を結んだ。