宮城県出身のパンサー尾形「ここに家がありましたね」 父は津波に飲まれるも九死に一生

2024年03月09日 17:45

芸能

宮城県出身のパンサー尾形「ここに家がありましたね」 父は津波に飲まれるも九死に一生
パンサー・尾形貴弘 Photo By スポニチ
 テレビ朝日「中居正広の土曜日な会」(土曜前11・30)が9日に放送され、お笑いトリオ「パンサー」の尾形貴弘(46)がVTR出演。2011年3月11日に発生した東日本大震災からもうすぐ13年を迎えるタイミングでかつて実家があった場所を訪れ、過酷な精神状況に追い込まれた震災当時を回想した。
 “芸能人がウン十年ぶりに登校する”という番組の企画で地元・宮城県東松島市に里帰り。小学校、中学校、高校とかつての通学路を28年ぶりに歩いた。

 そのロケの最初に、ある場所を訪れた尾形。そこは一面更地で雑草が生えていたが、「サンキュー!!!サンキュー!!!どうも、パンサー尾形です。きょうはナント3月9日ですね。サンキューの日ですから」と元気に登場しながら「ここに家がありましたね」とポツリと口にし、「震災でね。海が(すぐ)そこなんで。ちょっとなくなっちゃいましたけど。思い出ですよ、ここは」と続けた。

 ここで番組スタッフから「ご両親は大丈夫だったんですか?」と聞かれると、「両親、大丈夫でした。何とか。はい…何とかね」と答えた尾形。「それではウン十年ぶりの登校、いってきま~す!サンキュー!!!」と元気にロケへと出発した。

 だが、その後、震災のため廃校となり、現在は防災を学びながらキャンプやバーベキューなども楽しめる宿泊施設となった母校・野蒜(のびる)小学校の跡地を訪れた時だった。13年前の東日本大震災当時について語り出した。

 ロケの最初に両親は無事だったと話していたが、当時の避難状況を聞かれると「母ちゃんはお寺のほうに逃げて。で、親父があの…。母ちゃん心配で戻ってきちゃって。歩いてたら津波がきて。飲まれちゃって…」と神妙な表情。

 「そしたら一軒家の屋根が流れてきて。屋根にお尻がバーンってぶつかって。それで浮いたんです。で、そこから一日半ぐらい浮遊というか。雪降ってるなかね…」と父が流れてきた屋根の上に乗って一日半ほど漂流していたことを明かした。

 当時、そんな両親と連絡が最初に取れたのは震災発生から約3週間後。「腹を決めてたというか…。そういうの、ありましたけどね…。でも、みんな大変だったから。このへんの人たちは」と伏し目がちに話していた。

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