立川晴の輔「笑点」起用のワケ 19年立川流「笑点」半世紀ぶり出演〝雪解け使者〟 談志さん因縁が…
2024年04月07日 17:38
芸能
晴の輔は実力が認められ、BS日テレ「笑点 特大号」の若手大喜利コーナーで活躍。2019年9月15日に療養中だった三遊亭円楽さんの代演として「笑点」の大喜利に出演した。この時、立川流では50年ぶりの「笑点」出演となり、落語関係者や落語ファンの間で大きな話題となった。
半世紀にもわたり、立川流と笑点に隔たりがあったのは、両者の因縁が背景にある。
笑点は1966年、談志さんが立ち上げてスタート。当時、テレビの普及に押され、寄席に足を運ぶ人が減った状況に危機感を抱き、「落語家もどんどんテレビに出るべきだ」との思いから企画。初代司会者となり、風刺やブラックユーモアを取り入れながら、大人の笑いを求めたが、日曜夕方という時間帯の笑いに合わないとする番組スタッフ、レギュラー陣と対立。1969年3月末にレギュラー陣全員が降板し、談志さんも同年11月に番組を去った。
こうした歴史の中で、50年ぶりの立川流出演者となった晴の輔はこの時「私は落語立川流という暗黒集団からやって参りました。ブラックな一門と言われていますので、腹黒の席はぴったりだと思います」と円楽さんの腹黒キャラかけてあいさつ。会場の笑いを誘ったこの言葉には、晴の輔の師匠・立川志の輔のアドバイスもあったとされ、テレビ関係者の間では「晴の輔が笑点と立川流の雪解けの使者の役目を果たした」と評価されていた。
なぜ今回、晴の輔が抜てきされたのか。その理由について、テレビ関係者は「BS日テレの若手大喜利コーナーで実力を発揮していることに加え、19年の雪解けに力を発揮した功労者という部分が大きかったようだ」と話す。
晴の輔がレギュラーメンバーになったことで、「笑点」メンバーは、東京・江戸落語界に分かれている4団体、落語協会、落語芸術協会、落語立川流(立川流)、五代目円楽一門会(円楽党)すべての落語家がそろう「笑点」史上初めてのメンバー構成になった。