川口春奈 モデル時代の過酷すぎる往復生活「絡まれながら寝たり…学校の宿題もしなくちゃとか」
2024年04月07日 23:14
芸能
ところが、ここで最初の壁にぶち当たったという。「田舎で育って、いきなり東京に来て、カメラとか大人がいっぱいいる中で“笑って!”とか言われて…。笑えるか!みたいな。全然笑えなくて」。故郷から遠く離れた東京で、多くの大人たちに囲まれての慣れないモデル業。「引きつって、“もっとニコニコ笑って”とか、メイクとかもしたことないのにメイクして、ホント着せ替え人形みたいな感じで」と振り返った。
他のモデルはスタイルが良かったり、ダンスなど特技を持っている子もいたという。「みんなはダンスができますって披露したりしている子がいる中、(特技が)なくて。(ありませんと)言った気がします」と、苦い思い出を語った。
過酷さに輪をかけたのが、長崎と東京との往復だった。東京からの帰りは、飛行機の最終便で福岡に帰り、そこから福江島までフェリーで9時間半かけて海の旅。もともと船酔いがひどい上、経済的な理由で船の個室を取れず、雑魚寝スペースで睡眠を取っていたという。「すごい酔っ払っているおじさんに絡まれながら寝たりとか。気持ち悪くて吐いちゃったりとか、学校の宿題もしなくちゃとか。今考えると過酷でしたね」と明かした。
そんな生活は約3年、続いたが、あきらめる選択肢はなかったという。「辞めなかったですね。何でしょうね?」。雑誌で表紙を飾れば、友達がみんなで購入してくれたという。中学の卒業式は仕事で出られなかったが、同級生たちが川口のためだけにオリジナルの卒業式を催してくれたことも。「地元全員がすごく応援してくれてサポートしてくれたから、辞めると言えない感じ。自分の思いで後に引けない感じになっていました」。島の人々の期待に応えることが、いつしか宿命になっていったという。
サポートしてくれたのは、もちろん家族も一緒。10歳離れた三姉妹の長姉が当時、東京に暮らしており、川口が東京に行った際には生活やレッスンの送迎などを親代わりとなって面倒見てくれたという。「姉と一緒に共同生活をしてたんですけど、その時に姉は22、23歳。一番遊びたい時に10歳下の妹がいて、ワンルームで、すごく迷惑をかけたんですよね。ストレスもかけちゃったし。全部お姉ちゃんの時間を奪っちゃった」。申し訳なさと感謝を口にしていた。