関ケ原の戦いで建物を焼失したというのが、関ケ原駅の隣、垂井駅から徒歩20分、南宮山の山麓に鎮座する南宮大社。金山彦命を主祭神に、旧国幣大社で美濃国一の宮として、また全国の鉱山、金属業の総本宮として、今なお深い崇敬を集めている神社で、上月智也宮司によると、戦いの1週間前の9月8日、兵火によってすべての建物が消失したという。
1642年(寛永19)、春日局の願いにより3代将軍家光が旧構のまま再建。広い境内には「南宮造り」ともいわれる本殿、拝殿、楼門などが、当時のままに朱塗りの華麗な姿を並べ、遺構18棟が国の重要文化財に指定されている。現在は境内に願かけ絵馬垣が設置され、「天下分け目難関突破」との掲示板。戦い当日、南宮山には毛利、吉川、安国寺などの3万人の兵がありながら傍観したままだったというが、こんな絵馬垣なら心強いことだろう。(電)0584(22)1225。