こだわり旬の旅
【千葉・南房総】鎌倉殿の足跡ここにも…この地から始まった頼朝の再起 相模湾の向こうに富士山の絶景
2023年01月05日 19:00
社会
碑の後ろはコバルトブルーに輝く相模湾。その向こうには雪を抱いた富士山の姿。頼朝上陸地にふさわしい景観だ。
近くには頼朝が上陸後、一夜を明かしたという神明神社も。小さな神社だが、本殿の欄間の鯛などの彫刻は立派。ここで近隣の住民に手厚いもてなしを受けた頼朝は、これに報いるため、左右加(そうか)、馬賀、渡などの姓を下したという。
先着の北條時政らと合流した頼朝は、再起を図るべく房総一の兵力を誇った上総広常のもとへ。途中、地元豪族の襲撃を受けるも撃破。幼なじみの安西景益の館に入り情勢を見極めたというが、その館跡といわれる平松城址(南房総市池之内)が同線館山駅からバスで約25分、徒歩約10分の丘陵地にあった。
雑木林に囲まれた坂道や階段を上っていくと、頂上のような台地に数個の石碑が見えてきた。一番奥の石碑に「平松城址」の文字。解説板には「頼朝が(略)『吾妻鏡』に記されているように9月4日になって参向した」と書かれていることから、頼朝は上陸地から4~5日かけて到着したとみられる。
その後、頼朝は兵力を整え、9月13日に安房国を出発したが、その間、丸御厨(まるのみくりや=南房総市)を巡検し、房総半島最西端の洲崎神社(館山市)を参詣。丸御厨は父義朝が頼朝の成就祈願のため伊勢神宮に寄進した荘園で、同線那古船形駅から徒歩8分の安楽寺近くにあったという。現在は田畑が広がるだけだが、館山駅からバスで約30分の洲崎神社は、御手洗(みたらし)山(標高110メートル)の中腹に鎮座。厄祓坂と呼ばれる148段の石段を上った先の本殿に参拝して振り返ると、相模湾が一望の下。特に右手に進んだ富士見鳥居からは富士山を望むことができ、まさに絶景。頼朝は上陸地に続き、美しく雄大な富士山を見て、再起を決意したのかもしれない。
▽行かれる方へ 頼朝上陸地へは車は富津館山道鋸南富山ICから国道127号線経由。問い合わせは鋸南町地域振興課=(電)0470(55)1560、南房総市観光協会=(電)同(28)5307、館山市観光協会=(電)同(22)2000。