篠山紀信氏 伝説の宮沢りえヌード写真集誕生秘話 タモリトーク番組で語った放送回は“神回”に

2024年01月05日 11:11

芸能

篠山紀信氏 伝説の宮沢りえヌード写真集誕生秘話 タモリトーク番組で語った放送回は“神回”に
91年に写真集「Santa Fe」発売会見を行った篠山紀信氏(右)と宮沢りえ Photo By スポニチ
 日本を代表する写真家で、ジャンルの垣根を越えて活躍した篠山紀信(しのやま・きしん、本名=みちのぶ)さんが4日、東京都内の病院で死去した。83歳。東京都出身。
 常に時代を“先撮り”した巨匠で、宮沢りえをモデルにした91年発売のヌード写真集「Santa Fe」は全国紙への全面広告でも話題を呼ぶなど社会現象に。155万部を売り、同年のベストセラー7位を記録した。

 篠山氏は「Santa Fe」撮影までの経緯についてテレビ番組で語ったことがある。タモリと宮沢によるトークバラエティー「ヨルタモリ」(フジテレビ)の2015年7月26日放送回で、そのトークの内容から同日のオンエアは“神回”とも言われた。

 そのトークでは、篠山氏は写真集の表紙を鞄から取り出して「りえちゃんが初めてヌードになるってことで、私は神聖なカメラで撮ったほうががいいんじゃないかと思って新品のカメラ買って持っていったの」と当時のエピソードを披露。

 写真集撮影までの経緯については、「りえちゃんがちょうど映画『豪姫』(92年公開)の撮影のときで。りえちゃんが18歳になって。僕が会いに行ったらりえちゃんは撮影現場に入ってて、りえママ(光子さん)だけ残っていた。それで、りえママに『もうりえちゃんも18になったんだし、ヌードでも撮っておいたほうがいいよなあ』ってね。冗談ですよ。まさか撮影できるなんて思わないから」と宮沢の母、光子さん(14年に死去)との会話を振り返っていた。

 篠山氏は「半分お世辞みたいな感じで『きれいなコだから、若いときに撮っといたほうがいいんじゃない?』ってママに言ったら、ママが『そしたら、次の連休明けかなあ』って言うの。もう、びっくりして。撮影できるんじゃん」と“りえママ”の決断に驚いたと話していた。

 一方の宮沢も「美しいものは美しいときにとるべきだ、っていう母親の説得があった」と告白。「私も『うーん、まあそうね』って」と穏やかな口調で説明していた。

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