八代亜紀さん ハスキーボイスの女王逝く コンプレックスを生かし悲哀を表現 舟唄、雨の慕情…
2024年01月09日 19:00
芸能
誰もが一度聞けば忘れらないハスキーボイスの持ち主。
歌が好きだった父親の影響で幼少時代から地元のコンクールに出場。ただ、ハスキーボイスがコンプレックスだったというが、父親が買ってきた米国の「スモーキーボイスの女王」と呼ばれたジャズ歌手ジュリー・ロンドンの歌声をレコードで聞き、自信を持ち、歌手を志す。16歳で銀座のクラブに立ち、幅広い曲を歌った。
同じクラブで歌っていた歌手三谷謙(のちの五木ひろし)に後押しされ芸能プロダクション入り。1971年に「愛は死んでも」でデビューした。
八代さんの持つジャズの要素とハスキーボイスが、どこかに悲哀を漂わせ、聞く人の胸を打ち、73年に「なみだ恋」が大ヒット。79年の「舟唄」で地位を不動のものとした。翌80年には「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞した。